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9月3日(土)よりBunkamuraル・シネマほかにてロードショーとなる
映画『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』
そして、公開がせまる今、クロード・ルルーシュ監督と主演のジャン・デュジャルダンのインタビューが到着しましたのでご紹介! 驚いたことに名優エルザ・ジルベルスタインとジャン・デュジャルダンから監督に仕事を一緒にしたいという電話から、脚本を当て書きしたところからこの映画製作が始まったそうです!少し長いですが全文どうぞ。
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それでは、脚本・監督のクロード・ルルーシュのインタビューをどうぞ!
この映画がはじまったきっかけ 監督:この映画は、様々な状況がうまい具合に重なり合って始まった。私が別のプロジェクトをやっていた時、エルザ・ジルベルスタインとジャン・デュジャルダンから電話をもらったんだ。2人が、ただ私と仕事をしたいと思っていることを知らせたかったという、それだけのものだった。 そして、次にインドとの“啓示”のような出会いがあった。彼らとお互いに考えていることを話していくうちに、私好みのラブストーリーが浮かんできた。ジャンとエルザが私を突き動かしたんだよ。彼らは思いもよらないカップルになる可能性を秘めていた。お互いに違いすぎるからこそ、理想的なカップルになるはずだ、と。
愛とインドと、コメディ 監督:愛は人間にとって、一番の関心事だ。ラブストーリーほど満足感を味わえるものはないと同時に不快なものもない。つまり愛というのは混沌としたものであるがゆえに、驚くべき展開となる可能性があるんだ。事実、愛はこの映画の唯一のテーマだ。愛に限界はない。誰かが誰かを深く愛していても、別の人間を好きになることもあるということを描きたかった。私にとって愛とは、あらがうことのできない麻薬のようなものだ。
彼らの演じたストーリーに真実味がある限り、私は「カット」と言わなかった。そう、「カット」と言ったのは、嘘っぽく感じた時だけだ。セットでも滅多に「カット」と言わなかった。これ以上は無理があると思った時でも、彼らは迫真の演技を続けていたんだよ。 音楽について 監督:この映画では、音楽も非常に重要な位置を占めている。映画音楽作曲家というジャンのキャラクターを通して、『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(ルビ:プレリュード)』では、幸運にも私が一緒に仕事をすることができた、すべての偉大な作曲家たちを称えている。この作品で喜びの再会を果たしたフランシス・レイはもとより、ミシェル・ルグランやクロード・ボリンもそうだ。私が彼らの音楽に魅了されたのは、知らず知らずのうちに体に染み込んでいたからだ。誰もどこで音楽が生まれたなんか知りようもない。音楽とは神自らの表現なんだよ。 思いがけないカップル 監督:ジャンとエルザと一緒に映画を作りたかったが、私には2人が一緒にいる絵を描くことができなかった。キャスティングをする時に、いつも想像力が広がらないんだ。我々は常日頃、楽な方法を取りがちだが、本当に突然ひらめいたんだ。このカップルはかなり変わり者で、普通じゃないことが、すごくいいアイデアのように思えたわけだ。恋人紹介所(デート相手の紹介会社)は、共通の趣味を元に相手を紹介するが、それが原因でトラブルになるのかもしれない。共通の趣味だと、お互いに同じことをするから、退屈してしまう。だが相補性というのはすごく強い。ジャンとエルザの出会いも似たところがある。2人はかなり違っているからね。何もかもが不合理で、いつものように道理が通らないインドのような国で、映画の中での2人の唯一の共通点は、フランス人だということだけだ。 お互いを追い求める 監督:エルザとジャンと一緒に、我々は初めてディナーを共にした。食事中は本当にライブ・エンターテインメントだった。まるで自分の映画を見ているような気分だった。ディナーの席での2人の関係は、映画の中での彼らそのものだった。私の仕事は物事を観察することだ。好奇心を持ち、統合的に芸術作品を作り上げるのが監督の仕事だ。私は2人を観察した。持ち出す話の種を、2人がどのように話すかをじっくりと見ていた。そこで浮かんだのが、この光景を撮影したら…、どんなカップルにも経験のあるこの“イタチごっこ”を、観客は面白がるんじゃないかという思いだった。一方がもう1人からいつも逃げるんだが、それでいて相手のことをより愛している。我々がどちらかに加勢するまでその状態が続く。ジャンとエルザの見えない関係を撮っているのは楽しかった。そして、その2人が最終的には、どうにかくっつくことも想像できた。 アンマについて 監督:この映画で体験したあらゆる奇跡の中でも、アンマとの出会いは最高のものだ。周りの人たちを抱擁して、愛を振りまいている彼女の話を小耳にはさみ、素晴らしいアイデアだと思った。私は彼女が生まれた南インドのケーララに出向いた。彼女は毎日、数百人の人間を抱きしめているが、1人として同じ気持ちにはならない。それぞれが別々の人生を抱えてやって来るからね。私は数時間滞在して、彼女を見ながら、映画に収められないかと考えた。アンマには神々しさがある。私は人生で数千人と出会ってきたが、彼女は最も印象深い人の1人だ。側近を通じて映画にいただけないかと頼み、俳優たちと一緒にアンマが出演する許可を得た。彼女は俳優たちがいつ来るか知らなかった。ジャンとエルザは群衆に交じっていて、彼女は2人を他の人たちと同じように扱ったんだ。それまで彼女はどちらとも会ったことがなかったし、演技すらしなかった。私は彼女にもジャンにもエルザにも演技を求めなかった。まるでカメラ抜きで彼女に会いに来たというように、2人はアンマに会ったんだ。それはすごい光景だった。アンマと俳優たちからかなり離れた所にカメラを置き、長焦点の望遠レンズを使ってニュース映像のようなアップで撮影した。私はニュース記者としてキャリアをスタートさせたんだが、映画監督になってから、そのテクニックを使える機会を伺っていたんだよ。だから私は俳優だけをアンマのところに行かせた。何か起こるかもしれないと考えてね。 人生を謳歌することについて 監督:私が愛してやまないことが2つある。それは人生と映画だ。映画が私に人々が人生を謳歌できるようなものを作らせてくれる。この世の怖さを痛いほど分かっていても、私は世界を愛している。だから多くの人にも愛してほしいんだ。ネガティブなものがポジティブなものより、重要になってきている世の中に私たちは生きている。悪いニュースがいいニュースを凌駕している世の中だ。でも映画を1本作るたびに、どうしたら人々がこの世の中を、より好きになってくれるかを考えてきた。私は映画の持つ力が人の心を2時間で変えられると信じている。ちょうどアンマが30秒人を抱きしめることで、その人を変えられるようにね。中には文明社会を破壊しかねない映画もある。この世界を愛する私の思いが、映画を通して広がることを願っている。 |
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アントワーヌ役のジャン・デュジャルダンのインタビューです!
クロード・ルルーシュ監督とエルザ・ジルベルスタイン ジャン:クロード・ルルーシュは、僕が監督というキャリアに期待するものをすべて兼ね備えている。彼は頭が柔らかく複合的な発想ができる人間で、俳優に裁量を与え、自由な演技や台詞の変更もいとわない。映画製作で私が好きなところは、クルーたちとそういう環境で2~3か月過ごせることだ。クロードもそんな環境が好きなんだよ。彼は映画製作を楽しんでいて、毎日のように自分の脚本に手を入れるんだ。 このプロジェクトは、いろいろなことが素早く結びついたんだ。3人が会った時、エルザと僕にはやりたい明確なアイデアがあった。僕らの頭にあったのはクロードの作品『あの愛をふたたび』(1970)の冒険版ラブストーリーで、地球の反対側で撮影するというものだった。するとクロードが、こんなアイデアを出してきた。「君はアントワーヌ・アベラールという作曲家で、エルザは外交官の妻だ」とね。これでポーン(チェスの駒)はセットされた。インドが舞台という最高のアイデアも出てきた。旅は恋愛を育てるという、まさにクロードの世界だ。そこが彼の映画の好きなところだ。独自で組み立てていき、皮肉を加えない。彼の映画はロマンチックでおかしくて、不合理で残酷だ。人生と似ている。クロード・ルルーシュと2人のキャラクターとインド…、もう映画は完成したようなものだ。何でも可能だったんだ。 接近するのを避ける ジャン:インドについては何も知らなかったが、それが良かった。僕は何の先入観も持たずに、文化的なギャップを経験したかったんだけど、それは空港に降りた途端、始まったよ。僕は何の疑問も抱かずに映画とキャラクターに取り組みたかったんだ。僕の世間的イメージや人がどう思うかとか、自分はどうすべきで、どうすべきではないのかというようなことを考えるのを毎日、払拭しようとした。熟考は俳優にとって悪なんだ。クロードとの仕事は、僕にとっていいことずくめだったんだ。 不可能なことに向かうことから離れて ジャン:実は僕の役柄は、まったく固まっていなくて、よく練られてもいなかったが、僕らは女性にも男性にも楽しめる映画を作りたかった。異国の地でいろんな出来事に遭遇したり、また引き起こしたりして、それに対して誰もが示す反応を描きたかった。クロードは型にはまっていないものが好きで、突発的な出来事や予期せぬことを好む。エルザもそうだ。彼女は時として非常に真面目に考えたり、自分の役柄になり切ることができる。彼女を見ていると笑っちゃうんだよ。彼女は知性的で気さくで、教養があって、機転も効く。僕らは仕事をしている間は1日中、甘やかされた悪ガキのようにふるまうようにしていた。楽しみながら、リスクを冒そうって決めたんだ。その結果、毎日がワークショップか実験的な演劇みたいだった。 インドの衝撃 ジャン:インドみたいな国は他にない。新たな発見があり、自分を反省し、ショックを受け、心を動かされ、美しいものや見たくないものを目にする国だ。よく何もない国だと言うが、本当に何もない国だ。そんなことがあり得るのかと思えることが山ほどある。だがインド人たちは働き、生き伸びているんだ。いわば永遠のカオス状態だ。旅行という概念が覆ってしまう。10日も過ごすと、だんだんそのことに慣れてくる。とりわけ素晴らしく有能なインド人スタッフと仕事をしてみるとね。僕らは人を見ることを学ぶ。それは植民者としてこの国に訪れたヨーロッパ人としてではなく、偏見のない人間としてだ。僕らが彼らの目を見ると、彼らは驚くが受け入れる。そしてそのことが楽しくなる。この国は様々な景色や色合いを見せてくれる。僕らは満足しているよ。敵意のようなものは感じないね。あらゆるものが月並みな枠を飛び越えているんだ。 撮影中のエピソード ジャン:僕らは順番通りにこの映画を撮影していたけど、あれは信じられないくらい贅沢なやり方だよ。映画というのは、順番に撮影されることなんてないからね。僕らは1日演じたことの上積みができた。より真実味のあるものを翌日、やることもできた。毎晩だって映画全体を再現することもできた。書き上がっている脚本がある上で、クロードとエルザと話し合いながら始め、再構成をしたり書き換えたりした。エルザとの絡みは、お互い何度も驚かされることがあった。たとえば僕らが列車で旅をしていた時、彼女は僕が物真似をすることが分かっていた。彼女は警戒していたけど、僕は詳しいことは言わないでおいたんだ。そんなことをすれば彼女はリアクションを用意しかねないからね。撮影は3人のゲームだったんだ。クロードは僕の隣に立ち、僕が彼女に言うべき台詞を耳打ちしたが、その前に彼女には別のことを言いたかった。あれはすごくまごついたよ。僕ら(の仲)は物語の中で同じように進行していたんだ。 展望 ジャン:絶えず自分が何をしているかを見ている部分が僕にはある。だから監督にはなりたいと思わない。というのも、セットで監督や共演者たちとの共同作業が大好きだからだ。ゲームをしているんだよ。役の台詞がキャラクターにとって嘘っぽいとか、キャラクターを考えて、あの台詞は彼にとって意味のあるものだとか、そういうことが常に頭にあるんだ。 『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(ルビ:プレリュード)』について |
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まさにフランス映画
『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』 9月3日(土)よりBunkamuraル・シネマほかにてロードショーです。 公式HP: 物語・・・・ |
監督・原案・脚本:クロード・ルルーシュ(『男と女』『愛と哀しみのボレロ』)
脚本協力:ヴァレリー・ペラン
音楽:フランシス・レイ (『男と女』『愛と哀しみのボレロ』)
出演:ジャン・デュジャルダン、エルザ・ジルベルスタイン、クリストファー・ランバート、アリス・ポル
2015年/フランス/シネスコ/5.1ch デジタル/114分
字幕翻訳:松浦美奈
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
配給:ファントム・フィルム
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma