「情報」から削がれてしまう現実をどう伝えるのか?
2016年ベルリン国際映画祭金熊賞受賞、2017年アカデミー賞ドキュメンタリー賞ノミネート作『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』。 |
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安田さん:映画を観る前は日本で受け取るニュースの世界、難民が押し寄せて混乱が起きて・・・というものだけを切り取ったものを想像していました。でもそういうものとは全く別世界の島の日常が淡々と流れていて、いろんなメタファーを散りばめられていた。監督がインタビューでも話しているように、映画の冒頭に「What your position?」という言葉が投げかけられていて、あなたは難民問題やこの島で起きていることに対してどう考えるのか、どういうポジションを取るのかと私たちに突きつけられます。他にもこの映画にたくさんのメタファーや投げかけがあります。「2つの世界」ということでいうと、日本であったりヨーロッパであったり、難民の方が逃れて行った先で、近いけれども対話がなかったりコミュニケーションがなかったりという現状と、島の日常と、難民の方が辿り着いた厳しい現状が隣り合わせになっていることによって、彼ら彼女たちもかつては、この島で流れているような静かな日常を当たり前に送っていて、その日常は紙一重で、ある日その日常が突然崩されてしまうのではないかっていう、そういった暗示にも感じられました。 望月さん:昨年末にベルリンに行って、年越しのタイミングでみんなが花火をあげるんですけども、いわゆる難民の人たち、中東系の人たちやシリア系の顔の人たちがたくさんいるのかなと思って行ったんですが全然会わなかった。ただ中心街にスケートリンクができていてそこに行ったら100人くらいかな、中東系といったらいいのか、そういう人たちだけがいたんですね。すぐ近くだけど、全く違う風に暮らしている人たちがいるということを感じたんですね。 安田さん:それは交わらない、ふたつの世界が隣り合わせになっているような状況だと思うんですけども、この映画の最後に近いシーンに、最初は鳥に石を当てていた少年が鳥に近づいていく場面があったと思うんですけども、見えない壁のある世界に対して、共鳴する世界を探ってみようという風にしていると解釈して観ていました。闇に手を伸ばすような作業かもしれないけど、交わる交点ってあるんじゃない?って宿題のように感じたんです。 望月さん:この映画を見て、渋谷の街を歩かれて、この東京にも、それぞれが暮らしている生活だったり歩いている道にも同じような構造があると思っていて、難民問題以外にもホームレス支援や生活困窮者支援をされている方と話しをすると自分がどのくらい見えていないかということを痛感させられるんですね。違う世界に生きていることを日々、感じることがなかなかできない・・・ということに対して、自分がどういう視点で、どう暮らすか、街を歩くかということをこの映画から受け取りました。 安田さん:そういった見えない壁に対して、伝えるという仕事も、スマートニュースかもしれませんし、写真ということもそうかもしれませんし、そこにどうやって風穴を開けていくかということを考えますよね。 私がシリアについて話しをするときは、必ず内戦前のシリアの写真を見せるんです。そうするとシリアってこういうところだったの?こんな風に子供が遊んでいて、こんなに美味しいご飯があったの?って驚かれるんですよね。この映画も島の日常から始まっていって、その先には、島の日常とは違う現実があるっていう、そこに表現の間口を広げる、人に伝わっていく間口を広げる可能性がある気がするんです。「情報」から削がれてしまう日常感をどれだけ捉えることができるかということを感じます。 小学校でシリア内戦前の写真を見せた時に、子供たちが予想以上の反応をしてくれて「超きれい!」とか、そしたら一番低学年の一年生の女の子が「こんなきれいな場所をどうして人間は壊すの?」と言ってくれたんですよね。悲しみや苦しみを言葉や写真で吹き付けていくことだけが現状を伝えていくことではないってことを感じました。 |
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望月さん:僕たちが、ニュースを見る時は、日常はニュースでも何でもないので、悲惨な部分ばかり、人が死ぬ話しばかり。自分はニュースに関わっていてそこが一番難しい。映画とか写真等こう言った表現手法だからこそできる、それを見ることによって感じられることができることはあるはずだと思います。外国あるいはヨーロッパの難民問題についてのニュースはなかなか読んでもらえないという現実は実際あると思っています。だからこそ、メディアの方たちも悲惨さによせたりショッキングなもので注意をひいていくんだと思います。だからこういう映画が入り口にあるのはいいなと思います。その先に何があるのか、関心が繋がっていくんだと思います。関心を紡ぐ伝え方は自分なりに試行錯誤していますね。
安田さん:この世界に魅力的じゃない場所なんてないんじゃないかと、この映画を見ながら思っていました。シリア難民の子供たちとかイラクの子供たちという抽象的な伝え方で写真を提示するのではなくて、この写真に写っているなになにちゃんという女の子がいて、なになに君という男の子がいてどういう人生を歩んできたのか、誰しもがその場に行ける訳ではないけれど、その写真を通してその人が限りなく、その子に出会ったような感覚に近づける、人と出会ったところってそこから思いを馳せることができる、そういう表現の力をあげて行かなければならないと思います。 望月さん:このトークのお話をいただいた時に最初に思い浮かんだ言葉が何かのヒントになればということでご紹介します。大学院でミシェル・フーコーというフランスの思想家の研究をしていて、フーコーが78年に日本に来た時の言葉で、「哲学者の仕事というものは見えているものを見えるようにすることだ」というものがあります。僕はその言葉をすごく大事にしています。哲学者の仕事はいま見えているもの、わかっていると思っていることに対して、少し視点をずらして別の見方を提示することだと言っていて、この映画は現実が別のように見える効果をもたらしてくれるじゃないかと思います。この映画館を出たあとに街をそういう気持ちで眺めて帰っていただけたらと思います。 安田さん:今日は何度か「壁」という言葉を出させていただいたんですが、世界を見回していくと不寛容さとか見えない壁がどんどん分厚くなっていくような気がしています。先日、イラクに行った時に長くお世話になっているイラク人の友人に「トランプ大統領になったよね」と聞いたら、「トランプがいくらイスラムを冒涜しても誹謗中傷しても彼を憎むことはないと思う。なぜなら僕は本当のムスリムでイスラムの教えというのは、自分のことを傷つけた相手であってもそれをまず受け入れることなんだ」と言っていました。それを聞いてカッカとしていた自分が恥ずかしくなりました。不寛容さに抗っていくというのは、まず自分が寛容さを失わないことだと教えられたような気がして、「What’s your position?」というメタファーが最初にありましたけれども、私たちはどういうポジションで何を目指していくのかということを考え続ける作業なのかなと思いました。 とイベントを締めました。 |
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『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』 イタリア最南端、アフリカにもっとも近いヨーロッパの小さな島、ランペドゥーサ島。12歳の少年サムエレは友だちと手作りのパチンコで遊び、島の人々はどこにでもある日々を生きている。しかし、この島にはもうひとつの顔がある。アフリカや中東から命がけで地中海を渡り、ヨーロッパを目指す多くの難民・移民の玄関口なのだ。島を通して温かくも冷静な眼差しで世界を見据える、静かな衝撃のドキュメンタリー。 公式サイト: |
監督:ジャンフランコ・ロージ(『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』)
後援:イタリア大使館、イタリア文化会館
協力:国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所、サードストリート
推薦:カトリック中央協議会広報 提供:ビターズ・エンド、朝日新聞社
配給:ビターズ・エンド
2016年/イタリア=フランス/114分
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