映画『赤い玉、』目白大学でトークイベント
奥田瑛二×高橋伴明監督 監督・高橋伴明さん、主演・奥田瑛二さんで、人生の半分を過ぎようとする男たちが探し続けている“不確かなもの、”人間が誰しも経験する“老い”が“性”にも追いつく時間を葛藤と焦燥感に苛まれ、それでも求め続けるしかない人生を描いた作品。 第39回モントリオール世界映画祭に正式出品されることが決定した本作には、同学年の伴明監督と奥田の、草食化してしまっている若者・映画業界に奮起を促したいという想いも込められているそうです。 そんな肉食系2人が、草食系編集者・評論家の山田五郎氏をモデレーターに迎え、8月8日(土)目白大学に集まった学生たちに、本作に込めた想いについて熱く語りました。 日付:8月8日 |
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山田さん:高橋伴明監督は京都造形芸術大学で8年間程教えられてこられたんだけれども、映画『赤い玉、』では、監督自身がモデルと思われる映画監督でありながら大学で教えている時田という男が主人公で、奥田瑛二さんが演じられている。赤い玉というのは、男は射精回数に限界があり、最後の射精の時に赤い玉が出て終わるという伝説があるんです。もうそろそろ赤い玉が出てしまうんではないだろうかという初老の映画監督・時田の焦り。また、映画監督としても作品をもう一度作れるんだろうかという焦り。男として、映画監督として終わってしまうんじゃないかという焦りを抱えながらも、愛人とダラダラ暮らしている男が、ある日謎の美少女に出会って翻弄され、一種のストーカーになっていく。その中で、もしかして最後の作品ができるかもしれないということで『赤い玉、』という脚本を書き始めるんですね。その映画を最後に撮りたい、という話。高橋監督の実人生に基づいたような、私小説的映画のような感じもしてしまう。撮影している場所も、京都造形芸術大学だからなんですけれど、監督自身がモデルなんですか?監督自身も事務の女の子とできていたりするんですか?
高橋さん:それはないんですけれど、1/3位は自分の部分がありますね。あとは勝手に作った部分と、約半分は奥田そのものだと思ってやりました。 山田さん:奥田さんは演じていて、時田という役はそのものでした? 奥田さん:そのものでした?って。ここにいる人は見ていないですけれど、見たらどんなおっさんだ、と思いますよ。僕の場合は、打ち合わせの段階で、監督の方から、『日本映画には最近エロスが足りないからダメになっているのかもしれない。』と言われ、僕も同感だったんで、エロスというものを俺たちの世代がもう一度復活させないと、これからの若い人たちはどうしようもないだろうなという想いもあって、伴明監督が脚本を書いてきたんですけれど、僕が読んだときは、『高橋伴明じゃん』と。 高橋伴明を俺が演じるのか?と。でも高橋伴明を描いても、僕も映画監督やっているし、俳優でもあるんだけど、両方共わかるんだから、伴明監督の想いを胸にしまい込んで、奥田でやることでおもしろい相乗効果が生まれるんだろうなと思って演じましたけれど、意外と堪えますよね。映画がクランクアップして、しばらく自分の私生活で赤い玉をひきずっちゃって、迷路に迷い込んだ感覚になったんですよね。だから僕は、まだ赤いものが出ていないんで(笑)、赤い玉が出るって何なんだと引きずってしまって。結局トンネルから抜け出しましたけど、それ位同化して全てさらけ出して撮っていたんで、それの影響かなと思いながら、私はなんだ、少しは変わっているんだろうかって。公開が始まらないと、本当の答えは見えないなというのが今の僕の実感です。 山田さん:高橋伴明監督の話なんじゃないの?というのもあるし、演じられている奥田さんご自身も監督と同世代で、ご自身も映画を撮っていらっしゃる。しかも舞台が伴明監督が教えられている京都造形芸術大学で、京都造形芸術大学の学生さんが役者さん。そういうことで、どこまでがリアルで、どこからがフィクションかわからなくなるのがこの映画の面白いところだと思う。。映画の中でも真実のような夢、嘘のような現実というのが出てきます。映画自体どこまでが真実、どこまでが夢かわからない。監督、そこが狙いだったんですか? 高橋さん:ストーリー上も、実際の学校を使っていることも含めて、観ている人が混乱してほしいというのは思っていました。 |
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山田さん:今回は大学が舞台で、学生さんが役者をやっているので、素人くさいわけですよね。それが妙なリアリティになっていて、効いているような気がしました。学生を起用する狙いは何だったんですか?
高橋さん:正直言いますと、予算があります。けれども、学生が作る映画を8年間見てきて、性表現から逃げているなという気がしていまして、ならば、スタッフもキャストも含めて、性表現の場に連れていきたいという想いが強かったので、学生に募集をかけました。「こういうシーンがあるぞ」と。それがわかってて応募してきてくれと。で、面談して、親の承諾を得て欲しいと言ところまでやりました。そういう現場に彼らを引き込みたかった。 山田さん:すごい教育ですよね。皆さんできますか?脱ぎあるぞ。絡みあるぞと。ものすごいエロいおっさんが相手だぞと?性表現から逃げんなというお話がありましたけれど、僕なんかが今日出て行って場違いだと思ったけれど、パンフレットの対談を読んだんですが、この二人が、ゴールデン街で若者に説教しているようなことばっかり言っている。オスになれとか、今の若者は草食系だとかね。僕はどっちかっていうと団塊の世代寄りなんですけれど、これじゃ学生と噛み合わねぇぞ、誰か間に立つ人間がいないと、と思って、のこのこと出てきました。なんでオスにならなくちゃいけないんですか? 奥田さん:街で駅の前に腰かけて、1時間女性を眺めると、大体9割以上、100%に近い位、女性はメスなんです。明らかに。それに反して、男性は、オスがやたら少ない。つまり、自分がオスであることを忘れてしまっている。『男です』『男性です』という解釈になっちゃっている。でも女性はそんなことはとっぱらっても、100%に近い人がメスなんですね。若い子もおばあちゃんも。だから、男どもが、モテたいだとか、いい女性をものにしたいとか思っても、オスじゃないから、そりゃモテないよね?男、男性だと思っているから。ところが、オスのやつがたまにいるんだ。20人や30人に1人。そうするとそいつが、全部いいところをかっさらっちゃうわけ。その現象が世の中にある。だからオスとはなんだということをもう一度男性諸君が考え直さなくてはいけない。何がいけないんだろうと思うこと。『俺は女性とセックスするのが嫌だ』とよく言われ、『どうするんだ?』と言ったら、『自分でしちゃえばいいから』と言う。『アダルトビデオを観て全部すましちゃいます』と。『女性と交わるのはダメなのか?』と聞くと『いやーとてもとても。』という子が、100人の若者たちに聞いたら、何人いるか。5%いてもとんでもないことじゃないですか? 山田さん:それはいかんことなんですか? |
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山田さん:監督もずっと学生を相手にしていて、『オスになれ』的なことを思っていたんですか?
高橋さん:具体的に一つ例を挙げると、女の子が、電車なくなったから、呑みすぎたからと、平気で男の子の家に泊まるんですね。その後どうなるのかとこっちはワクワクするんだけど、何もない。 山田さん:それは若い人だけの責任ですか?大学に来ても、煙草吸うのが偉い大変だったりするじゃないですか。入るのもセキュリティとか、すぐコンプライアンスだとか。何もできない社会の状況だとか、本人だけの問題じゃなく、責任を取らせないような教育をしていませんか、世の中は? 高橋さん:それは確かにあると思います。けども、それをなんとか打ち破っていこうとするのが若者であってほしいという想いは常にあります。 山田さん:今回の作品はそういう想いもこもっている? 高橋さん:見てもらったらわかるんですけれど、この映画の中に理想のオスは出てきません。だから、『情けねえな、こいつら』と自分を投影するような気持ちで、『こりゃオスになんといかんぞ』と観てほしい。ちょっと頑張っているのはこのおじさんだけじゃない、と。 山田さん:そこが意外でした。主人公がオスじゃなかった。めちゃくちゃかっこ悪いおっさんなんですよ。女子高生をストーキングしていて。 奥田さん:それ自体がオスなんですよ。だらしがない、年中酔っぱらっている、妄想描いている。女性を追いかけている。オスじゃないやつはそういうことをしないじゃないですか。死ぬまでそういう行動をし続けるという男なんだね。だから、赤い玉というものが本人に自覚症状が起きた時に、そのオスに対しての絶望感がどーんとくるんでしょ。その時どういう風になるかと想像するんだけど、すぐに打ち消して、『俺にはそういう時は来ない』と思ってまた前に進むわけですよ。それはまさにオスの現実、典型的なオスだと思う。 山田さん:体力的に、もうオスじゃなくなるかもしれないけれど、なんとかオスであり続けようともがいているのはかっこ悪い姿だけれども。 奥田さん:かっこ悪い姿なんだけど、“枯れることを拒絶する男。”それが僕の理想です。 山田さん:若者的に言うと、『枯れたらどうですか?』と思うんですよ。いつまでもなんでそんな若くいたいんですか、団塊の世代の人たちは?と 奥田さん:それはしょうがないんですよ、モテるから。よく言われるんですよ。『かっこいいですよね。どうしてですか?』と。面倒くさいから『生まれつきだから』とずっと言ってきたんですけれど、自分としては、それが終わることを許さない。死ぬ時が本当に枯れる時だってね。そうじゃないと俳優はやってられないし、監督もやっていられないというのが自分の中であって、どんどんそういう気持ちが逆に増える一方。」 |
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Q&Aコーナー Q.1 今の職業に就こうと思ったきっかけは? 高橋さん:助監督として奴隷をやっていたからです。 山田さん:まず助監督になろうとしたのは? 奥田さん:助監督のバイトを辞めたがっていた先輩に無理やり連れていかれた。 山田さん:別に映画監督になろうとは思っていなかったんですか? 高橋さん:1ミリも思っていない。助監督になり、虐められたので、監督にならないと浮かばれないと。 山田さん:奥田さんが俳優になられたのは? 奥田さん:小学校5年生の時、東映の大友柳太郎の『丹下左膳』を見たときに衝撃を受けて、あの中(スクリーン)に行きたいと思ったのが小学5年生で、今に至ります。 Q.2「仕事にやりがいを感じる時は?」 Q.3 監督の仕事をしていて大変だなと思うことは何ですか? |
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Q.4 ベッドシーンを撮影する時、どんな気持ちで役を演じていますか? 奥田さん:例えば質問者のポンさんと僕がベッドシーンを演じるのなら、心底ポンさんに惚れていきますね。そうすると、自分のイメージが広がり、想いがポンさんに通じて、監督、カメラマンの中で二人が身を投じる。それがいかにナチュラルに映るか、監督も撮影監督も遠慮することなく、二人の心を写し取ることができるか。身も心も現場に投げ出すということですよね。それは女優さんと連動しなくてはいけないので、そういう意味では、女優さんを大切に思って撮影中は過ごしています。『嫌われたくない』とかそういうことは一切ない。ただ想いを相手役の人にぶつけに行く。ぶつけ方もストレートであったり、弱かったりするし、映画の中で恋人同士であるのなら、撮影現場ではそういう想いを持って臨みます。本気で好きにならないと、とても空気感が映らないと思います。だから、映画がクランクアップすると残酷ですよ!現実に戻らなくてはいけないし、家に帰れば、子供やかみさんがいるわけですし、夢の世界から現実社会に戻るわけですから、取り残されないように、残酷だけど、さっとそこから旅立つ、去る。取り残され、一人で立ちすくんで、『何で行っちゃうの?』となってしまうから。真実の恋愛でないと十分にわかっていても、自分の経験値として素晴らしい財産になるのは間違いないし。若いころから、どれだけラブシーンをやったかわからないけれど、いつもその残酷な気持ちと人を好きになるというのを繰り返ししてきました。当時から結婚はしていたんですけれど、もしも独身だったらどういう人生だったかと瞬間思うこともあるけれど、現実に結婚していたから歯止めがきいて、よかったのかな。独身だったら、破滅していて、今の自分はないと思う。好き勝手やって、ここまできているわけですから、枷が取れたら、はるか以前に消えていると思う。 山田さん:相手を好きなる時、個人の奥田瑛二として好きになるのか、時田として女性を好きになるのか、どっちで好きになるんですか? 高橋さん:時田が役で好きになっているとなる。芝居中はどれが自分なのかわからなくなっている。よく仕事が終わったら『俺は元に戻る』とか『私は元に戻る』と言っている俳優がいるけれど、そういうやつは大した役者じゃない。自分のガールフレンドや恋人には言わないんだろうけど、共演している時は絶対その人のことを嫌われながらやっている人もいるけれど、僕は半数以上の俳優さんや女優さんは、その時は恋をしていると思っている。いい俳優であればあるほどそういうところにはめ込んでいくんじゃないかな。 山田さん:監督から見ていても、本気でできる人とそうでない役者さんと違う? Q.5エロスを超えた究極の愛は、真実の愛と異なりますか? 奥田さん:究極の愛というのは結果論でしかないから、プロセスの中で究極を目指すなんていうのは違う世界ですよね。エロスというのは恋愛している本人同士はエロスなのか何なのか気にしないわけで、映画においてのエロスは肉体を含めて心を寄せあったりするので、それをいかに表現できるのか。その中には愛おしさもあれば、美しさもあるし、残酷性もあるし、人の奥底にあるということであって、“究極の愛”というのは人それぞれ性格が違うように、真実の愛を求めるというのもおかしいし、究極の愛もおかしい。10万人に1組しか生まれないというソウルメイトカップルというのがあるらしいんですけれど、それは真実の愛だと思うけれど、あとの9万9999人は真実の愛なのか何なのか、信頼して愛し合っているということだと思うんだけどね。 高橋さん:質問者は、いきつくところはプラトニックラブなのではないかと考えているのではないかと思ってしまったんですけれど。 山田さん:肉体的な愛と精神的な愛。 山田さん:今の若い人たちは摩擦が嫌いなんだと思いますけれど。精神的な摩擦も体の摩擦も避けているんだと思います。 奥田さん:何が楽しくて生きているんだろう?摩擦のチャンスを自らが逃して生きている。酒に酔っぱらっていい気持ちになれば、喧嘩のチャンスもあるし、人と知り合うチャンスもたくさんあるし、スケベになるチャンスもいっぱいあったりして、それが果敢に大海に飛び込んでいくようなもんだから、そこを拒否すると、人生を生きていく中で、とても社会の風に対抗できない。 山田さん:僕は草食系だけど、そこだけは賛成なんですよね。男女の関係に限らないんですけれど、摩擦があるから自分ができていく。若い段階だと、自分ってそんなにできていないと思うんですよ。自分がなんだかわからないし、自分が何をやりたいか、何ができるかがからない。自分探しというけれど、どこかになにかがぽんとあるわけではなく、これを見つけたら全部解決ということはない。摩擦を経ていく中で、擦れ合って擦れ合って自分の殻というものが固まってくるのではないかと思います。摩擦を恐れないで。 映画『赤い玉、』 2015年9月12日よりテアトル新宿他にて全国ロードショー 公式サイト:http://akaitama.com/ |
出演:奥田瑛二
不二子 村上由規乃 花岡翔太 土居志央梨
上川周作 ・ 柄本佑 高橋惠子
監督・脚本:高橋伴明
製作:高橋惠子・小林良二・塩月隆史
プロデューサー:大日方教史
音楽:安川午朗
撮影監督:小川真司
編集:鈴木歓
宣伝・配給:渋谷プロダクション
制作プロダクション:北白川派
製作:「赤い玉、」製作委員会(ブロウアップ・渋谷プロダクション・ラフター)