身体のすみずみの感覚に、目を向け、耳をそばたてれば身体の内側も外側も踊りに満ちている
この度、第72回カンヌ国際映画祭の併設部門・監督週間に正式招待され話題を集めた『Grand Bouquet』(19)を含む、振付家/ダンサー/映画作家、吉開菜央の特集上映「吉開菜央特集:Dancing Films」が、新型コロナウィルスの影響につき当初公開を予定しておりました4月から延期となり今週末12月12日(土)より公開となりました。改めて公開の決定に併せて、公開期間中のイベント、及び著名人からの推薦コメントも解禁。 |
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ついては、12月12日(土)からの上映につきまして、ミニライブダンス、及びトークイベントが以下の通り決定いたしました!
イベント情報 ■ミニライブダンス(本編上映後/30分程度予定) 12月13日(日) ■トークイベント(本編上映後) Aプログラム(64分)『Grand Bouquet』『ほったまるびより』『静坐社』 特集公式ホームページ: 最新のイベント情報はユーロスペース公式サイト内「吉開菜央特集:Dancing Films」をご参照ください。 |
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また、先に頂いておりました石川直樹さんに加え、以下の通り各界のアーティスト、批評家の方々より、推薦コメントを頂戴しております。実験的でありながらエンターテイメント性に満ち、視覚・聴覚だけでなく触覚的で嗅覚的表現を探究し、身体表現の軽やかさに満ちた表層とダークでファンタジックな深層が混交してゆく、比類なきアーティスト、吉開菜央の全貌をスクリーンで発見してください。 吉開菜央の映像には、触感や匂い、熱と湿度が宿っている。 イメージの内側で動き、戯れ、蠢くからだたちの、⽣々しい、だがどこか⾮実在的な佇まい。 それらばかりではなく、画⾯それ⾃体が、⼀種の⽣物のように思えてくる。 所詮は表象であるしかないはずの映像が、舞台上の、⽬の前の現前と完全に等価となる、異様な、しかし限りなく魅惑的な錯覚を、彼⼥の映画は、私に抱かせてくれる。 —佐々⽊敦(批評家) ⼿放しの喝采とはまた異なる読後感というか、⼀瞬もやもやする、でもなんだか清々しい。 ⾔われるままに⼤⾳量で観ていたら、胃袋をゆさぶられ奥⻭と⽝⻭ガタガタいわせられた。もうないのに。 体からみた世界の景⾊。ダンサーだけが知っている世界の秘密を、吉開さんはあかそうとしている。 吉開菜央によるダンス/映画の融合が⼒づよく露呈させるのは、映画史のすべてがダンス映画であったという事実。吉開映画ではチリやホコリも、記憶/忘却を互い違いに反転させつつ、美しい舞いを⾒せる。死骸の腐乱作⽤ですらダンスだ。きっとウィルスなりで⼈類が滅んだあとも、ダンスは残るだろう。セシウムやプルトニウムが、次代のダンサーを引き受けるだろう。吉開映画が無⾔のうちに⽰すのはその引き受けの、あられもない⽕⼝である。 吉開菜央は睫⽑である。あるいは⾜裏であり⽔流であり脇であり⾵の淀みであり⻭茎に伝わる⼩さな違和感でもあるだろう。吉開は⾵景を撮らない。会話を録⾳しない。彼⼥はただ、⼭の斜⾯が⽣み出す重⼒の歪みを触知し、⾁が腐り落ちる匂いをかぎ分け、⾆と⻭と果実が擦り合う咀嚼⾳に⽿を傾けるだけだ。とは⾔え、そこにもまた物語はある。吉開の背中にはホモンクルスが棲まい、瞼の裏ではドッペルゲンガーたちが今夜の夢の到来を待ちわびているからだ。いまだ物語の微⽣物と呼んで構わない彼⼥たちがこれから⼀体どのような成⻑を⾒せるか、⽣成変化を遂げるのか。それはまた、映画作家としての吉開菜央という物語の続きともきっと繋がるだろう。 1980年代⽣まれの「ミレニアム世代」は、幼少期からテクノロジーに親しみ、社会的・精神的・⾝体的意識が⾼く、嘘がきらいだといわれる。吉開菜央はこれら同世代の特⻑を持ち合せながら、さらに彼⼥を突き動かす「情動」をきわめて意識的に原動⼒に変える。世代で括られるのはごめんだと、きっと彼⼥はきっぱりと、花の礫を吐きながら訴えるだろう。同調する空気の⼒で⾒過ごすことなどできない、そんな違和感や抵抗感がまさに吉開のモチベーションの⼀部になる。映画的な線形の物語や⾳楽的な時間軸に頼ることなく、⾃⾝の⾝体の動きに導かれて撮影・編集した映像から溢れだす「情動」をすくいとり作品化する。振付家がスタジオで構築していく⾝体表現とデジタルツールを駆使した映像表現が、眩しく、頼もしい結合を⾒せる。馴染み深い⾁体と機械が「情」の⼒を味⽅につけ、同世代の想像を超えていくアートである。 吉開さんの映像を⾒ていると、気分が良い。⼀つ⽬には、⽣命が蠢いている!と感じるから。吉開さんの⾃然や⼈間への想像⼒や愛情が惜しみなく注がれているのが伝わってきて、⾔葉にならない類の感動があり、単純に元気をもらう。⼆つ⽬には、そんな⾔葉にはしにくい感性を保ちながらも、吉開さんによって全てを⾔葉に出来そうなくらい、映像がすごく精密だから。逃げも隠れもしないでその両⽴に臨む姿が清々しい。そしてその結果、出来上がる映像がすごく⾯⽩いというのが何よりも爽快。⾯⽩くって、だから素直に泣いたり笑ったりして、気分が良くなる。私はそう思いますが、観る⼈それぞれの感覚を引き出す、懐の深い作品群だと思っています。 まずなんといっても作中すべての⾝体表現の美しさとその完成された独⾃の捉え⽅に感動し続けます。Dancing Filmsという⾔葉の枠に収まらない素晴らしい映像ばかりで鑑賞直後から脳裏に焼き付くシーンがいくつもあり、きっと吉開監督⾃⾝が振付師でありダンサーであることに由縁する⾝体と精神の結びつきの独特な切り取り⽅に魅了される濃厚な作品集です。 吉開菜央の作品は「⽔」のイメージと切っても切れないが、湧き出し/流れ/巡り/⾃ら⽣成変化もし/無⾊透明な存在ゆえに他の物と混ざることで混濁もし/⽣命のもとともなるがある時は死滅させもする「⽔」そのものとも⾔えるのではないか。ガストン・バシュラールの『⽔と夢』の⼀節を引いておこう。「このように⽔はひとつの完璧な存在としてわれわれの前に現れるであろう。それはひとつの⾝体、ひとつのたましい、ひとつの声をもつ。おそらく他のどの元素よりも、⽔は完全な詩的現実なのである。」(及川馥訳) バラバラ蘇⽣事件。なつかしい少⼥毒性の、あたらしい⾳響映像技術の。フランケンシュタイン博⼠はいまはもう、北極の海におぼれるでなく、地表の陽だまりにおどって。息を吸って肺を破り、息を吐いて障⼦を切り裂き、頭⽪を揉まれ、⿎膜を刺され、そんな勢いにのせられて、視るの、聴くの。からまるの、⾁体と、家屋敷と。⾻と、果実と、永遠と。 |
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「吉開菜央特集:Dancing Films」開催概要 日程:12月12日(土)~25日(金) 場所:渋谷ユーロスペース Aプログラム:『Grand Bouquet』、『ほったまるびより』、『静坐社』 計64 分 Bプログラム:『梨君たまこと牙のゆくえ』、『みずのきれいな湖に』、『Grand Bouquet』、『Wheel Music』 計68分 公式HP:
12月12日(土)~25日(金)渋谷・ユーロスペースにて開催! |