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元ワム!(Wham!)のマネージャーが監督

 
1981年にアンドリュー・リッジリーとともにポップデュオ・ワム!(Wham!)を結成し、10代でデビューを果たしたジョージ・マイケル。「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「ケアレス・ウィスパー」「ラスト・クリスマス」などの世界的ヒット曲を作詞作曲し、ソロシンガーとしてもアルバム『フェイス』が1988年度グラミー賞を受賞し、通算売上枚数は1億2500万枚以上を記録するなど大成功をおさめたジョージがいかにしてポップミュージック界の伝説となり、その光と影を生きたのか。ワム!のマネジャーを務めたサイモン・ネイピア=ベル監督がスティーヴィー・ワンダーやスティーヴン・フライら40人以上の関係者へのインタビューを敢行し、時系列で辿る『ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇』。

 
本作の公開を記念して、サイモン・ネイピア=ベル監督が来日。トークイベントに登壇し、マネージャーだった監督とジョージ・マイケルのエピソードや、ジョージ・マイケルの魅力を語りました。司会は、元宝塚歌劇団星組の汐月しゅうが務めました。
ジョージ・マイケル
 
監督来日トークイベント
日時:2025年12月28日(日)
場所:ヒューマントラストシネマ有楽町
登壇:サイモン・ネイピア=ベル監督
MC:汐月しゅう
 

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登壇:サイモン・ネイピア=ベル監督

 
冒頭監督は、本作を見終わった観客に、「この映画を通してジョージについてさらに深く学べたことを願います。本作の制作中に、私自身もたくさん学ぶことがありました。取材対象者が、私が知らないことを話してくれたからです。皆さんがさらに深く彼の音楽を理解できるようになったことを願います」と挨拶。
ジョージ・マイケル
監督は、制作の基準については、「私が知っていることを解説するのではなく、彼のことを知っていたたくさんの人から学ぼうと思いました。私にとって面白いことは、観客にとっても面白いと思いました。新しい視点で語ってくれる人40人以上をインタビューし、50時間もインタビュー素材が撮れました」と苦労を語った。
 
ジョージの最初の印象を聞かれた監督は、「最初は、ワム!のパフォーマンスをテレビで見た時です。二人が街でダンスをし、酒を飲み、女性をナンパするハリウッドの『明日に向かって撃て!』みたいなブロマンスのイメージでした。ジョージとアンドリューが私のアパートに来た時は違いました。アンドリューに関しては、スクリーンで見た通りでしたが、ジョージは楽天的でなく、注意深くて、信頼せず、音楽業界についてよく知っていて、未来についてプランニングしていたので、最初彼と話すのは難しかったです。一つのグループで、一人はビジネスがどういうものか理解していて、もう一人はビジュアルのイメージを与える人。この組み合わせはマネージメントするにはパーフェクトでした」と話した。
 
ワム!の解散についてどう受け入れたか聞かれると、「ジョージには最初に、『世界で一番ビッグなバンドにしたいけれど、世界で一番ビッグなバンドにするために、あなたたちには1年しかない』と言われていました。世界で一番ビッグなバンドということはアメリカで一番ビッグなバンドということ。1年でやるのは無理です。そこで思いついたのが、中国でコンサートをするということでした。西洋のアーティストは中国でコンサートをしたことがなかったので、1年半、毎月中国に行って、最終的にワム!がコンサートを開いたら、NBC、ABC、CBSで1週間24時間ニュースになって、アメリカで一番知られたグループになったんです。数週間後にはアメリカでスタジアムツアーをブッキングしました。ブッキングすると、ジョージは、求めていたことを実現できてしまったんです。なので、予定したよりも1年早く解散となったのですが、ジョージにとって、ジョージ自身の実像と違うワム!のイメージを維持するのはプレッシャーだったんです。その日が来るのはわかっていたから失望はしなかったけれど、自分としては素晴らしい成功を実現した後、もう半年くらいツアーができればと思いましたが」と驚愕の事実と当時の心境を吐露した。
 
アンドリューについては、「スターでいるのは、面白くないんです。スターのうちの多くが、問題を抱えた子供時代を過ごし、大勢のファンから愛を欲しがるけれど、アンドリューはそうではなかった。ジョージは典型的なスターですが、1〜2年スターをやっていると、普通に買い物ができなくなり、人生が奪われてしまう。アンドリューはすごく楽しんだけれど、普通の生活に戻りたくて、実際それ以降、そうしています。解散は誰にとっても問題ではなかったんです」と当時を回想した。
 
ワム!の解散で問題があったとしたら、ジョージの方だそう。「ワム!のイメージを維持するのが難しかったけれど、ソロになったら、もっとゲイでないイメージになったので、維持するのがさらに難しくなってしまった。ジョージは2年で経済的には良くなったけれど、私はそのイメージにはしない方がいいのではと提案はしました。『FAITH』のツアーの後、メンタル面でも感情面でもさらに悪くなってしまった。次のアルバム『リッスン・ウィズアウト・プレジャディス Vol.1』(直訳は『偏見なく聞いて』)では、まるでカミングアウトアルバムかのように、『FAITH』のイメージを壊しました」と持論を展開した。
 
監督は、「彼はたくさんミスを犯したけれど、ミスを犯すことを楽しんでいました。彼は以前私に『後悔することは一つもない』と言いました。その時は、彼はすごく気をつける人という意味かと思ったけれど、やがて、彼が意味したことは、彼はほとんどの人が後悔するようなチャレンジが好きで、それをアドバンテージに変えることができるということではないかと思うようになりました。彼はトイレの事件で裁判になっても、それを素晴らしい曲・MVにしました。崖の端まで行っても、それをアドバンテージに変えることができました」とジョージの特異な才能を讃えた。
 
最後に監督は、「カムアウトしてから彼は出来るだけ“普通に”生きました。“普通に”というのは、自分ではない何かだと偽ろうとしなかったということです。彼はみんなに、“なりたい自分になろう”と影響を与えられたと思っているのではないかと思います」と言い、トークイベントを締め括った。  
 

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『ジョージ・マイケル 栄光の輝きと心の闇』

 
原題”George Michael: Portrait of an Artist”
 
ヒューマントラストシネマ有楽町、kino cinema新宿ほか全国順次公開中
 
 
公式サイト:
https://georgemichael.negadesignworks.com/
 
公式X:
@georgemichaeljp
 

 
あらすじ
1981年、18歳のジョージ・マイケルは、12歳の時からの友人であるアンドリュー・リッジリーとボップデュオ・ワム!を結成。当初契約したインナーヴィジョン・レコーズとの契約の問題でシングルが出せない状況となるが、賢く乗り切る。しかし、人気絶頂でも、ジョージ自身は幸せを感じず、1986年、ジョージはソロシングル「ディファレント・コーナー」でセクシュアリティの葛藤を歌い、直後にワム!は解散を発表。
1987年に発表したソロ・デビューアルバム『フェイス』は、グラミー賞を受賞するが、1990年発表の「フリーダム!’90」のMVでは、『フェイス』のキーアイテムだった革ジャンを燃やし、ポップスターのイメージから脱却。望んでいたはずの名声と引き換えに葛藤とジレンマを抱えていたジョージは、1988年のテレビのインタビューで不意打ちで同性愛者か聞かれた際は、「違うけど、誰にも関係ない」と答えていたが、1991年、ブラジル人衣装デザイナーのアンセルモ・フェレッパと運命的な出会いを果たす。幸せな日々を過ごしていたのも束の間、治療法のない時代にアンセルモがHIV陽性になり急逝。
1993年、所属レコード会社の幹部の一人が自分のセクシュアリティに対して差別用語を使ったという噂を聞いて怒ったジョージは、自分のためでなく、業界全体のためにと他の業界では改善されているアーティスト個人の権利の確保のために裁判で闘い、結果、敗訴。2002年、「シュート・ザ・ドッグ」でブレア首相とブッシュ大統領を批判すると、今度はメディア王マードックとの闘いに…。2011年、オーストリアで肺炎にかかって危篤状態となったジョージは…
 
ジョージ・マイケル_ポスター

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監督:サイモン・ネイピア=ベル
出演:ジョージ・マイケル(アーカイブ)、アンドリュー・リッジリー(アーカイブ)、スティーヴィー・ワンダー、スティーヴン・フライ、サナンダ・マイトレイヤ、ルーファス・ウェインライト、ディック・レイフィー
2023年 / イギリス / 94分 / カラー / 英語 / 原題”George Michael: Portrait of an Artist”/ 字幕監修:山本さゆり / 配給:NEGA
A PROTOCOL MEDIA PRODUCTION ©2022

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