海外で長編映画を製作してきた今関あきよし監督(『ライカ』『恋恋豆花』)が、国内で見つけた宝石箱の様なロケーション、岩手県釜石市。復興半ばの釜石を、「人情喜劇映画」で応援したい!うまい釜石ラーメンをちょっと有名にしたい!今関あきよし監督「喜劇 釜石ラーメン物語」クラウドファンディング開始そんな今関あきよし監督が、復興10年目の釜石を元気にする映画「喜劇 釜石ラーメン物語」製作支援をMOTION GALLERYにて行います。 コロナ禍の影響で資金も思った様に調達できていないのが現状だそうです。 ストーリー 釜石応援映画プロジェクト!!プロジェクト実現までの予定 キャスティングの最新情報や製作スケジュールの最新情報は下記のリンク先で随時アップします。 FaceBook: |
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特典について①サンキューメール ②今関監督の動画メッセージを受け取る ③釜石特産品 ④インスタント釜石ラーメン ⑤今関監督&スタッフとリモート対談 ⑥サイン入り製本台本 ⑦エンドクレジット ⑧試写会招待券 ⑨前売り券プレゼント ⑩S#1プレゼント ⑪劇中使用どんぶりをプレゼント ⑬映画オリジナルT-シャツ ⑭ロケ弁をおごる ⑮差入れを送れる ⑯CM監督依頼(企業様向け) |
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『喜劇 釜石ラーメン物語』の始まり&コメント
監督:今関あきよし僕が最初に釜石へ行ったのは2014年。まだ東日本大震災の津波の被害が街中に多く残っていた。そして、2021年の今までに毎年通い続けて、その復興の変化を見続けて来た。多くの友人知人も増え、前向きな方、未だに身内が見つからず、どこかで生きていると強く訴える方、皆、未来を見る努力はするものの、過去への無念な想いに引きずられて、身動きできない方も….。いろいろな角度から映画という手段でほんの少しでも元気に出来ないものかと試行錯誤し続けてきた7年間だった。そんな中、いつも釜石へ行くと食べているものがあったことに気がつく。釜石ラーメンだ。釜石の方は単に「ラーメン」として普通に食べている。 311以降、津波被害の大きかった「釜石」という名が広がり、同時に「ラーメン」として普通に地元の人に親しまれていた「釜石」ラーメンが、多少なりとも認知し始めた。コロナ禍の中、やっと僕は映画の方向がはっきり見えてきた。小さな町の中の小さな中華食堂「小川食堂」の家族のドタバタ家族ドラマを前向きに描こう。あえて「喜劇」としてワイワイガヤガヤ描こう。田舎町の「寅さん」のようなタッチで、都心では失われつつある人情劇を、昭和を回顧するのではなく、昭和のうざったい温かさを、この釜石の町で映画にしてみよう!と決めた。映画が釜石の町で公開され、全国で公開され、釜石を日本をちょいとだけでも元気にしたい! 撮影担当:三本木久城(さんぼんぎ ひさき) 釜石の未来へ 釜石応援ふるさと大使:石森 寛女優・富田靖子のデビュー作でもある『アイコ十六歳』、原発事故を題材にした『カリーナの林檎~チェルノブイリの森~』など、これまで話題となる映画の数々を撮ってきた今関あきよし監督。その彼が、釜石で映画を撮りたいと言っていると聞いた。しかも、主題となるのが、釜石ラーメンだということであった。 釜石に生まれ、釜石を愛し、「釜石ラーメンに勝るラーメンはない!」と公言してきた者としては、聞き捨てならないビッグニュースだった。監督に会って話を聞くと、本人の口から熱く語られるのは、釜石という土地への愛情と釜石ラーメンに対する思いの数々。ただただ、感服するばかりで「これは全力を挙げて応援しない訳にはいかない」と心に誓った次第である。 早速、監督と脚本家のいしかわ彰氏とプロデューサーの伊藤直克氏を伴って、釜石市役所を訪ね、市長に会って話を聞いて貰った。ラグビーワールドカップが終わった今、次はラーメンで町おこしができるのではないかということで、興味を示してくれた。結果として、市の公認も頂き、全面的にバックアップして貰えることとなったのである。 釜石には、幾度となく災害に見舞われてきた悲しい過去がある。しかし、それに屈することなく、粘り強く立ち上がってきた歴史がある。あの東日本大震災から10年が経った今、この映画がこれからも前を向いて歩み続ける被災地の方々に、勇気と希望を与えてくれることを期待している。いや、被災地のみならず、コロナ禍の中で悲しみ、苦しんでいる全ての人々の心に届くような映画になることを願ってやまない。釜石ラーメンの特徴である細く縮れた麺、透き通ってさっぱりしているが実に味わい深くコクがあるスープ。たかがラーメンと侮るなかれ。その一杯のどんぶりの中には、沢山の愛情と限りなき夢と希望が詰まっているのである。監督は、「寅さん的な、笑ってホロっときて、元気になれる映画にしたい」と語っている。釜石という土地と長年ここで愛されてきたラーメンの持つ魅力は、きっとその期待に答えてくれるに違いない。これまで市のキャッチフレーズは、「鉄と魚とラグビーのまち釜石」だった。しかし、この映画が完成することで、「鉄と魚とラグビーとラーメンのまち釜石」に変わることを密かに夢想している今日この頃である。 釜石に物語りを プロデューサー 伊藤直克 2011年に知り合いのプロデューサーに誘われて岩手県花巻市で映画を撮影した。震災の年の夏だった。北上川近辺での撮影が終わった秋、山を越えて海を見に行った。沿岸にはまだ瓦礫が残り、復興などはまだ始まってもいない。海も山も深刻な表情をしている、そんな感じがした。 『喜劇 釜石ラーメン物語』への協力を約束してくれた野田市長と今関監督。釜石には独特のラーメン文化が有り、釜石ラーメンを出す店が33軒もある。 |