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公開記念トークイベント

ロックンロールの偉大なる創設者のひとり、リトル・リチャードのその知られざる史実と素顔を描く感動のヒューマンドキュメンタリー『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』が3月1日(金)より、シネマート新宿ほか絶賛公開中です!

本作の公開を記念して、3月2日(土)にトークイベントが行われました。
音楽評論家の萩原健太がホストを務め、ヒューマン・トラスト・シネマ渋谷ではミュージシャンで評論家の近田春夫、シネマート新宿では同じく音楽評論家の丸屋九兵衛をゲストに迎えてのトークが繰り広げられた。

公開記念トークイベント

日付:3月2日(土)

会場:ヒューマン・トラスト・シネマ渋谷

ホスト:萩原健太
ゲスト:近田春夫
リトル・リチャード
 
 

会場:シネマート新宿

ホスト:萩原健太
ゲスト:丸屋九兵衛
リトル・リチャード

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【萩原健太×近田春夫@ヒューマン・トラスト・シネマ渋谷】

若い頃から音楽に親しみ、ロックシーンの歴史にも精通している2人をして「知らないことがいっぱいあった」と言わしめる本作。近田さんは「リトル・リチャードという名前は知ってるけど、一歩踏み込んだら知らないことだらけで興奮しました」と語り、萩原さんは、本作の字幕監修を務めたピーター・バラカンとも話をしたそうだが「ピーターも『知らないことがいっぱいあった』と言っていました」と明かす。
リトル・リチャード
近田さんは、リトル・リチャードの楽曲との出会いについて「平尾昌晃さんが歌っていた『ルシア』(※オリジナル楽曲では『ルシール』)でした。当時のウエスタン・カーニバルで歌ってて、でもそれがリトル・リチャードという人の曲だとは知らなかったです。その後、鈴木ヤスシさんの『ジェニジェニ』を聴いたけど、これもみんな、リトル・リチャードの曲と知らず、鈴木ヤスシさんということでヒットした。そのあとが、ポール・マッカートニーの『のっぽのサリー:LONG TALL SALLY』で当時は『ミュージック・ライフ』のCMで流れていました。それがなんとなく印象に残っています」とふり返る。

萩原さんはさらに「そのあとが、CCRの『Good Golly Miss Molly』ですね」と補足。近田さんは「僕は一時、内田裕也さんのバックバンドをやっていた時に、リトル・リチャードを何曲かやっていて、裕也さんから何曲か受け継いで『トゥッティ・フルッティ』などをステージでやらせてもらいました」と懐かしそうに明かす。

萩原さんは、リトル・リチャードが、ギターではなく“ピアノ”を用いたロックンローラーであった点を強調。「リトル・リチャードと言うと、シャウトボーカル(が特徴)と言われるけど、ピアノもすごい」と指摘する。
リトル・リチャード
近田さんも同じくピアノ奏者であり、リトル・リチャードのように立ち上がって力強く演奏していたが、近田さんはこの奏法について、自身がロックの世界に足を踏み入れた当時を述懐し「あまり、ピアノロックンロールをやってる人がいなかった。PAやモニタの性能が良くなくて、生ピアノだと(ギターなどと比べて)、音が全然鳴らない(苦笑)。目立つには立つしかなかったんです」と苦肉の策であったことを告白。「リトル・リチャードも同じような気持ちだったのかも」と語る。

近田さんはリトル・リチャードがストーンズやビートルズとツアーを行なっていた点についても言及し「ミック・ジャガーが『相当勉強になった』と言ってたけど、本当に学んだことがいっぱいあったと思う」とうなずく。

また、萩原さんはリトル・リチャードがゲイであったという側面にも着目。映画を観て「(生まれ故郷の)ジョージア州メイコンに当時、いわゆるゲイコミュニティがあったということだけでも衝撃でした」と語り、ピーター・バラカン監修の日本語字幕について「ピーターとも話したんですけど、(リトル・リチャードの言葉が)ちょっと男言葉が過ぎるんじゃないか? 我々の界隈では“リチャードねえさん”と呼ばれているので、IKKOさん的な口調にしても良かったかも」と指摘も。

さらに萩原さんは「化粧をしていたことも含めて、リトル・リチャードはグラムロックの元祖とも言われている」と語り、ボブ・ディランとの“つながり”についても指摘する。1966年のツアーで、ディランが観客から「ユダ(裏切者)」と罵られ、ブーイングを受ける事件が起きたが、萩原さんは漫画家の浦沢直樹さんと交わしたという会話として「この公演をマーク・ボランやデイヴィッド・ボウイも観てたらしく、ディランは青白い顔でブーイングを受けながら演奏をしていて、それが妙に妖艶に見えて、『あれがグラムロックに影響を与えたんじゃないか?』と浦沢さんは言うんです」と紹介。そして「そのボブ・ディランが最初に憧れたのがリトル・リチャードなんです。ハイスクールで初めて作った曲を文化祭で披露して、それが『リトル・リチャード』という曲だったらしくて、昔のディランの写真を見ると、リトル・リチャードと同じ髪型にしていて、彼になりたかったらしい」と語り「それも含めて、やはり元祖ですよ。リトル・リチャード経由でボブ・ディランがあり、そこからデイヴィッド・ボウイとマーク・ボランがグラムという文化を作り上げた」と力説した。
リトル・リチャード
近田さんは、本作に多くのロックスターや著名人がコメントを寄せている点に触れ「否定的なコメントが一切なくて、みんな心から言ってる感じがする。人徳とはまた違うけど、あの愛され方…ああ見えて、ものすごく謙虚な人だったんじゃないか」と推測し、改めて本作について「これだけの貴重な記録をよく集めた」と称える。

萩原さんは、黒人やマイノリティの人々を巡るアメリカ社会の現状や変化を踏まえつつ、本作について「いまでないと作れない映画だと思う。クィア系の人たちも含めて、いまならば証言してもいいという人もいたと思う」と考察。改めて本作の意義について「リトル・リチャードを再評価するということは、ロックンロールを再評価するということ」と語り、近田さんも萩原さんの言葉に同意し「できれば、自分よりも若い人にこの映画のことを伝えていただきたいです。そこそこ年齢がいってる人は知ってるけど、若い人がリトル・リチャードのことを知らないのはもったいないので」と劇場に足を運んだ観客に呼びかけていた。

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【萩原健太×丸屋九兵衛@シネマート新宿】

丸屋さんは、リトル・リチャードとの出会いについて「既にリトル・リチャードの全盛期は遠ざかっていましたけど、ひとつのスタンダードとして存在していました。私はテレンス・トレント・ダービー(現在はサナンダ・マイトレイヤとして活動)とジョディ・ワトリーが好きで、2人がグラミー賞で新人賞を競い合ったのを後から見て(※授賞式にプレゼンターとして登壇したリトル・リチャードが『受賞者は…私です(=ME!)』と語るやりとりを何度も繰り返した)、あの漫才があまりにも漫才でした…(笑)」と最初の衝撃を明かす。
リトル・リチャード
さらに「大学の文学部で英語学をやっていた時の副読本で、黒人英語の歴史の中で(リトル・リチャードの)『トゥッティ・フルッティ』の(改編される前の)元ネタの訳詞がバッチリ載っていまして…(笑)。私が訳すは気が引けるんですが『ええ尻してまんな』『サイズ的に適合しなければ無理をするな、グリースを塗れば楽々可能だ』といった内容がストレートに書かれていて、18、19歳であの歌の内容がそういうものであると知ってしまった私はどうすればよかったのか…(苦笑)」とふり返る。

また丸屋さん自身も性的マイノリティであることを公表しており「そういう意味でも、リトル・リチャードにシンパシーが生まれる部分もありました」と明かし、セクシャリティを軸にリトル・リチャードの歩みについて言及。

映画でも描かれるが、リトル・リチャードはアーティスト活動の中で、自身を「ホモセクシャルを公言した初めてのアメリカ人アーティスト」と語ることもあれば、自身がセクシャルマイノリティであることを否定し「神が俺のセクシャリティを“治して”くれた」と語ることもあり、LGBTQコミュニティにとっては時に希望の星とも言える存在であり、時に絶望と裏切りをもたらす存在でもあった。

萩原さんはこうしたスタンスについて「時代性もあって揺れ動いてる部分もあったのかもしれないし、その行ったりきたりも含めて、彼の放った問題提起は大きかった。聖なるものと邪悪なものが混然としていた」と評し、この映画自体がいまの時代だからこそ「成立させることができた」とも指摘する。丸屋さんも「この映画の半分以上がセクシャリティの話。そんなこと、いままではできなかった」と同意していた。
リトル・リチャード
映画では、リトル・リチャードがゲイゆえに父親から勘当されたエピソードも描かれるが、丸屋さんはリトル・リチャードの時代どころか「つい最近まで、ヒップホップで『ゲイ=カッコ悪い』という意味だった」と指摘し、アメリカ黒人社会と性的マイノリティの複雑な関係性にも言及。「ヒップホップのマスキュリニティ(男性らしさ)の根幹にあるのは、アメリカの黒人社会におけるホモフォビア(同性愛嫌悪)。アメリカの黒人は他の民族と比べて同性愛の割合が高いけど、にもかかわらず、最も同性愛者が貶められるのが黒人社会」と説明し、リトル・リチャードが同じ黒人社会の中でも受け入れられず、生きづらさの中で過ごしてきたかに思いを馳せる。

萩原さんは「リトル・リチャードはグラムロックの元祖であり、ゲイカルチャーがクリエイティビティを引っ張っている空気感は音楽ファンは受け入れていた」と一部の音楽ファンは指摘しつつ「そこに一般の社会との乖離があった」とも。改めてリトル・リチャードの“戦い”について「半世紀以上前に、現代的なテーマを抱え込みながら音楽活動をしていた。世代的な意味でも、リトル・リチャードが戦ってきたというのはすごく大きなことだし、彼は何があってもへこたれないし。傷ついているけど、それを跳ね返すたくましさがあった。リトル・リチャードがいなかったら、(その後、世に出てきたロックスターの中で)いなかった人がたくさんいる」とその偉大さを称えていた。

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『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』

原題:LITTLE RICHARD:I AM EVERYTHING

シネマート新宿ほか全国絶賛公開中!!

【上映劇場】 ※3/4現在

シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町、立川シネマシティ、札幌シネマフロンティア、シネマ・トーラス、函館シネマアイリス、MOVIX仙台、小山シネマロブレ、宇都宮ヒカリ座、長野相生座・ロキシー、シネマテークたかさき、シネプレックスつくば、T・ジョイ蘇我、キネマ旬報シアター、ムービル、あつぎのえいがかんkiki、静岡シネ・ギャラリー、シネマイーラ、シネ・ウインド、高田世界館、ミッドランドスクエア シネマ、アップリンク京都、シネマート心斎橋、T・ジョイ梅田、シネ・リーブル神戸、シネマ・クレール、八丁座、シネマルナティック、とさぴくシネマ、KBCシネマ、シネプレックス小倉、シアター・シエマ、T・ジョイパークプレイス大分、Denkikan、宮崎キネマ館、鹿児島ミッテ10、桜坂劇場

公式HP:
https://little-richard.com

1997年1月27日、米ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムで開かれた第24回アメリカン・ミュージック・アウォードにて、ひとりのレジェンド・ミュージシャンに功労賞が贈られた。音楽業界の仲間たちからの万雷の拍手に迎えられ、ステージに上がり涙ぐむ当時64歳の彼にとって、まさにそれは長年の努力と苦労が報われた瞬間なのであった!その名はリトル・リチャード。本名リチャード・ウェイン・ペニマン。1950年代半ばに彗星のように音楽シーンに現れ、後進のロック・ミュージシャンに多大な影響を与えたこの革新的な黒人ミュージシャンは、一体どのような生い立ちを経て、その名を世界に刻んでいったのか。
リトル・リチャード
ビートルズもストーンズも。ボウイもフレディもプリンスも。JBもジミヘンも、そしてプレスリーまでもが彼に憧れ、敬愛し、真似た!現代ロックの誕生を導き、あらゆる困難と闘った偉人、その知られざる史実と素顔とは?
1955年、デビュー・シングル「トゥッティ・フルッティ」の大ヒットで世に出ると、リトル・リチャードはヒット曲を連発して反権力志向の若者の心をつかみ、まさにイナズマのような活躍をみせるも突如引退を宣言。そこから5年の「教会への回帰」を経て、復帰後はイギリス・ツアーを通じて無名時代のビートルズやローリング・ストーンズに決定的な刺激と影響を与えていく。立ったままでピアノを弾き、左手でブギウギを、右手では打楽器的打鍵を披露。激しいリズムを背景に、叫ぶように歌ったかと思えば、ピアノの上に立ち、衣服を脱ぎ捨ててステージを縦横無尽に駆けめぐる。今ではすっかり当たり前になっているパフォーマンスの数々が約70年前にひとりの黒人シンガー・ソングライターによって創造されたのだ。さらに近年ではLGBTQ+(クイア)の先駆者としても再評価されている。
リトル・リチャード

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製作・監督:リサ・コルテス(『プレシャス』製作総指揮)
出演:リトル・リチャード、ミック・ジャガー、トム・ジョーンズ、ナイル・ロジャーズ、ノーナ・ヘンドリックス、ビリー・ポーター、ジョン・ウォーターズ
2023年/アメリカ/101分/カラー/ビスタ/5.1ch/DCP/原題:LITTLE RICHARD:I AM EVERYTHING
字幕:堀上香/字幕監修:ピーター・バラカン オリジナル・サウントトラックCD:ユニバーサル クラシックス&ジャズ
提供・配給:キングレコード
宣伝:ポイント・セット little-richard.com 
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