「信念の人・木下惠介」@新文芸坐このたび、「生誕110年 信念の人・木下惠介」が、12月5日(月)より、東京・新文芸坐にて始まりました。生涯に残した49本の映画作品のうち、厳選された10本を上映。時代の空気を敏感に捉え、様々な撮影手法に挑戦し、幅広いテーマで映画を撮り続けて日本映画をけん引し続けた、“早すぎた天才”木下惠介の世界に触れる企画です。 特集の初日であり、木下監督の生誕日にあたる12/5(月)、映画批評家の秦早穂子さんと日本経済新聞社の古賀重樹記者によるトークイベントが行われました。 |
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秦早穂子、古賀重樹登壇古賀:秦さんの連載コラムが木下惠介公式WEBサイトで連載されております。当時13歳であった秦さんが最初にご覧になった木下作品が『陸軍』とのことで、新宿の映画館でご覧になったと伺いました。昭和19年の頃の様子はどんな感じだったのか、お聞かせください。 秦:私は昭和6年の満州事変から支那事変を経て太平洋戦争にいたる、つまり戦争の間に生まれた子供でした。だんだん映画が観られなくなる時代に、『陸軍』と『海軍』を観ました。1944年ですから、子供ながらに日本の状況がおかしくなっていく様子がわかりました。食べ物もどんどんなくなっていくし、どんどん疎開先に移っていく。そんなときに戦意高揚映画として、海軍が製作したのが『海軍』、陸軍が製作したのが『陸軍』です。駅の通りでは婦人会の人たちが、千人針をみんなにしてもらっている、非常に異様な光景でした。今の人には想像がつかないだろう光景です。私が今回のコラムを引き受けたのは、子供の視点で段々と成長していきながら、木下監督の作品に触れた実体験を書いてみたいと考えたからです。戦後の映画評論家たちは戦争のことは書けるけれど、戦争が終わってからの苦しみについてはわからないからです。初めは軍国少年・少女だった子供が、大人になるにつれて疑問を抱くが、それが怖くて言い出せない時代を伝えてみたかったのです。 古賀:当時の新宿には国防婦人会の方が多くいらっしゃったとのことですが、『陸軍』のラストでも割烹着を着た国防婦人会の方が、熱狂的に日の丸を振って出征する兵士を見送るシーンがあります。その群衆をかき分けて息子を追いかける母親の姿が、映画の中で延々と移動撮影で捉えられており、波紋を呼んだシーンとなりました。田中絹代の姿を観て、何を感じましたか? 秦:「母」という存在は、本当は心の底ではそういう気持ちを持っているものだ、と感じました。割烹着姿の国防婦人会の方たちが大勢いて、団体を組むと「お国のため」と強くなれます。日本人は団体を組むと強いが、1人だと弱いのです。団体を組むことの「穴」を考えなければいけないと感じていました。 古賀:映画の中で一つも反戦的な言葉は出てきません。ある意味で、セリフだけを取れば完璧な戦意高揚映画ですよね。みなが旗を振っている中で、必死になって息子を追いかける田中絹代の姿を映すだけです。 秦:「母親と息子がお互いを想う」ということを映像だけで表現する。その記憶が強かったし、コラムに書きたかったのです。劇場を出た後に見た、千人針をお願いする国防婦人会の方たち。「これを巻くと玉に当たらない」という言葉に、子供ながらに疑問を抱きました。陸軍省がこの映画を気に入らなかったのは納得できます。この映画を観て「一生懸命に戦う」という気持ちにはなりませんよね。この映画をきっかけに、木下監督が映画人生を諦めかけたことを知ったのは、戦後になってからです。 古賀:そのあたりの経緯は、原恵一監督の『はじまりのみち』で描かれていますよね。 映画を観終わった後の新宿の街が、映画の続きのような世界だったのですね。 古賀:『二十四の瞳』ですが、秦さんは当時お勤めだった映画会社でレポートを書くときに、「センチメンタルで観るだけでは的外れ」と書かれたそうですね。その心は何だったのでしょうか。 秦:誰だってあの映画を観たら自然に泣きますよね。自然に日本の歌が思い出され、ああいう唱歌や軍歌を歌い、戦争に行かないまでも死を意識するようになって、それが終わった時にあの映画を観れば、誰だって泣いてしまうでしょう。しかし、あの戦争はただ泣くだけで済まされるものではないのです。「泣けてよかった」という感想に反発したのは、そういうことです。木下監督にも泣ける映画という意図はあったかと思いますが、「それだけではない」ということも表現したかったのだと思います。実際にお会いした監督には、冷たく、女性に対して厳しい印象を受けました。そんな監督ですから、「単に泣くだけではいけない」と思っていたはずです。『二十四の瞳』に限らず、日本人は映画を感傷的に受け取る傾向がありますが、本来映画は自由に自分の眼で観るものです。皆が泣いたからといって、自分が泣く必要はないのです。周りの意見に流されず、自分の気持ちを記憶することが、人生の広がりに繋がっていくのです。あのときの『二十四の瞳』は皆がやたら泣いていましたから、反発してしまいました。 古賀:『二十四の瞳』は観るたびに発見があります。泣かせる映画は、登場人物がポロポロ涙を流すシーンをクロースアップで撮ったりすることが多いのですが、『二十四の瞳』ではそのような技法はありません。思い切ってカメラを引いて、人物が豆粒のようになっていたりします。 秦:大石先生夫婦の家に、生徒が訪ねてくるシーンがありますよね。あの夫婦の姿の描き方が、すごい細かいなと想います。画面にご亭主の姿は見えませんが、大石先生が起きて羽織を着ながら「よく来たわね」という。姿は見えませんが、そこにいたご亭主がスーッと布団を片付けるんです。そういう細かい所作が、この夫婦にも男と女の生活があるということを、単に裸で抱き合うよりも、もっと深く描いています。そういう細かく節度のある表現の積み重ねが木下監督なんだと思います。ほんの小さなワンカットに大石先生の一生、ご亭主の一生が凝縮されています。そういった描き方がリアリズムなんだと思います。最初に観たときは、私も若かったのでそこまで理解はできませんでしたが、今あらためて観ると、そういう表現を感じます。いい映画は何度観ても答えてくれます。 古賀:観るたびに新しい発見がありますよね。 |
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「生誕110年 信念の人・木下惠介」特集上映概要◆期間:2022年12月5日(月)~16日(金) ◆上映作品(全10本): ★=デジタル修復版の上映 |