「船、山にのぼる」「モバイルハウスのつくりかた」などのドキュメンタリー映画を製作してきた映画監督・本田孝義が、夭折の俳人・住宅顕信を描く監督初の劇映画『ずぶぬれて犬ころ』が、岡山と東京で2019年劇場公開されることになり、その劇場公開支援プロジェクトがクラウドファンディングMotion Galleryにて行われています。(締切:2019年4月30日23:59) Motion Galleryサイトはこちら |
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住宅顕信役には、2015年の『おんなのこきらい』(加藤綾佳監督)出演で注目を集め、2019年には『21世紀の女の子』内『セフレとセックスレス』(ふくだももこ監督)、『疑惑とダンス』(二宮健監督)など出演作が次々と公開される木口健太。 現在のいじめられている少年・小堀明彦役には、これからの活躍が期待される森安奏太。 他に、仁科貴、八木景子、原田夏帆、脇田敏博、坂城君、柳田幸則、田中美里(特別出演)らが脇を固めます。 脚本は歌人でもある山口文子。 撮影は『人のセックスを笑うな』『ニシノユキヒコの恋と冒険』の鈴木昭彦。 音楽は“あらかじめ決められた恋人たちへ”のリーダーであり、『武曲 MUKOKU』『ピンカートンに会いにいく』やドラマ『宮本から君へ』では音楽を担当した池永正二。 2018年7月に映画は完成し、11月の岡山映画祭で初披露されています。
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映画『ずぶぬれて犬ころ』について
2002年、精神科医・香山リカさんが住宅顕信のことを書いた本が出版され、全国的なブームが起きました。 1987年に25歳の若さで自由律の俳人・住宅顕信(すみたくけんしん)が亡くなりました。急性骨髄性白血病でした。 気の抜けたサイダーがぼくの人生 など、鮮烈な句を残しています。タイトルの『ずぶぬれて犬ころ』も住宅顕信の句です。闘病中も俳句への情熱を燃やし続けた住宅顕信の姿を繊細に描き出しています。 住宅顕信と同じ岡山県出身の私も、この時に初めて住宅顕信のことを知り、彼の俳句を初めて読みました。 住宅顕信(本名・春美)は1961年岡山県岡山市に生まれました。中学卒業後は下田学園調理師専門学校に通いながら、レストラン等で働いたのち、19歳で岡山市の清掃業に採用。この頃から、自由律俳句(5・7・5の字数にとらわれない俳句)と宗教に興味を持ちます。1983年、22歳の時に京都西本願寺で得度、浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を顕信とします。この年、自宅に無量寿庵という仏間を作っています。また、同年、1歳年下の女性と結婚。しかし、1984年23歳の時に、急性骨髄性白血病を発症し、岡山市民病院に入院。入院中に長男・春樹が誕生しますが離婚し、以後、病室で育児を行います。 入院中、俳句作りに没頭。全国に句友もでき、俳句誌にも投稿をしています。病状が回復し、一時退院出来たこともありましたが、回復するには至らず、1987年2月7日没。生前残した俳句は281句。 私は2014年に、諸般の事情で精神的に落ち込んでいました。その時、なぜか、「ずぶぬれて犬ころ」という住宅顕信の句が自分の中で蘇ってきたのです。住宅顕信の句は、闘病中に書かれたこともあって、暗い句が多いです。ですが、だからこそ精神的に厳しい状態に置かれた人たちにとっては、胸を打つ句でもあるのです。 2002年のブームから時代は一回りし、住宅顕信が生きた岡山県でも顕信のことを知らない人が増えてきました。私は住宅顕信の生き様・死に様を見ていただくことで、もう一度、顕信のこと、顕信の句を知ってほしいと強く願っています。そして、病を抱えながらも文字通り言葉に命を削った生き方は、世代を越えて、人間が生きる意味を考えさせてくれると思っています。 本田孝義監督談 |
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監督・本田孝義略歴 1968年岡山市生まれ。1984年山陽町立高陽中学校卒業。1987年岡山県立岡山朝日高校卒業。1992年法政大学文学部日本文学科卒業。大学在学中から、自主映画の製作・上映を始める。その後、テレビの製作会社に2年間在籍した後、独立。ドキュメンタリー映画の製作と並行して現代美術展でも映像作品を発表。 主な作品・展覧会 1995年「デフ・ディレクター~あるろうあ者の記録~」※ |