本日より角川シネマ新宿にて開幕した、溝口健二と増村保造という師弟関係にあった日本を代表する二大巨匠監督の作品42本を一挙上映する『溝口健二&増村保造映画祭 変貌する女たち」の公開を記念して、20本の増村保造監督作品に出演した女優の若尾文子さんが、トークショーを行いました。
「溝口健二&増村保造映画祭 変貌する女たち」若尾文子さんトークショー 満席の会場にスポットライトを浴びながら、繊細なレースをあしらった白のドレスに白いファーのケープを羽織った若尾さんが登場しました。両耳には亡き夫、黒川紀章さんがデザインしたというイヤリングが輝き、若尾さんの美貌を更に際立たせ、会場内から大きなため息がもれる中トークショーが始まりました。 |
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『祇園囃子』について。
若尾さん:この作品は、私が映画界に入った駆け出しの頃でしたから、野暮ったいが洋服を着ているみたいでした。溝口先生には、割合とかわいがっていただいきましたが、若尾という名前じゃなくて“子供”と呼ばれていました。「子供は外に」なんてね。そして衣装を着たまま家に帰ってそのまま寝ろとおっしゃって。そうすると衣装がよれよれになるので、それで生活感を出しましたね。でも、あの頃はまだ私は(新人だったので)難しいことも言われませんでした。本物の芸子さんと同じようにお稽古に一緒に通って習って。だから本番では私がちゃんとやっているように見えますよ。今はそんなに時間をかけて下さる監督さんはいないから、とても幸せだったと思います。 『赤線地帯』について。 若尾さん:私は、年が一番若いですがやり手で、みんなのお客さんを取ってしまうような役でした。でも私には何もかも難しくて、初めからそんなのはできないんです。撮影に入る前にタクシーに乗せられて吉原へ行って、少し窓を開けて街を走りながら、吉原で働く女の人たちを見ました。ミラーボールが光っているところにいる女の人たちとかね。そんな何も分からない私にもキャメラの宮川さんは優しくて、「若尾君顔を変えよう」っておっしゃって。眉毛をきりっと描いて唇も薄く描いて、薄情そうに見えるように。演技が足りないからそのようなことをしました。鏡を見たら私じゃないみたいで悲しかったですよ。溝口先生は「女優は演技なんてできなくていいから、エロチックであればいいから。小暮君を見なさい」と私におっしゃって。溝口先生はとても怖かったです。私は、恐る恐る小暮さんのそばに行ってずっと見ていました。今なら分かりますが、その当時はなかなか(色気というものが)分からなくて。小暮さんは独特な体の動きをされるんです。体全体がいくつかに分かれて動くような。私にはできませんでした。小暮さんは首と胸と腰が別々に動くんです。「役者で一番いいのは、そこに人間がいるように見えればいい」っておっしゃるんですが、でも難しいんですよ。溝口先生が「増村、お前若尾をなんとかしろって」言われるのを私は聞いちゃいましたが、増村さんにとっても迷惑な話ですよね(笑)。撮影期間中、溝口監督に10日間ダメ出しをされた時には、先生は座っていらして、一切言葉を発しないんです。死ねたらこんな幸せはないなと毎日思っていました。でも死んだら皆に迷惑がかかってしまいますしね。演技は教えてもらえないので、あんな孤独な10日間はなかったですね。家に帰っても親が心配しますし、押入れの中に入って毎晩泣いていました。でも私が、現在あるのは増村さんの20本を経験したことで、今の私がいるんですね。増村さんは東大を出られてイタリアのチネチッタに留学されて、帰国して撮ったのが私の『青空娘』でした。 『からっ風野郎』について。 若尾さん:三島由紀夫さんは文学の人だからか、やくざの役をやりたがっていました。だけど増村さんは、「三島が映画に出るんだから、そうそうみっともないことにはさせられない」っていうことで、とても厳しく言うんですね、それが辛くて、私は撮影に行く時に毎朝祈ってました「今日は無事に撮影が進みますように」って。 |
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『妻は告白する』について。
若尾さん:ラストの方のシーンを割と早い段階で撮影をしたのですが、この映画では、毎日台本を抱いて寝てたんです。抱いて寝たからってうまくいくわけじゃないけれど、台本を読んで、こんな風にしよう、なんて自分なりに(役を)作っていました。そしたら増村さんが「若尾君、今のはもっとテンポを早くしてくれないか」って。私はそうだとは思わなかったけれど、監督に言われた通りにやりました。そして1週間後にラッシュを見たら「やっぱりここは若尾君のやりたいようにやろう」とおっしゃってくださったので、私はその時増村さんに勝ったと思いました。それからは少し気持ちが楽になりました。 小津安二郎監督について。 若尾さん:小津安二郎さんは溝口先生とは正反対でした。画面では分かりませんが、一挙手一投足動きが決まっているんです。(画面に)映るとそんな窮屈さは感じませんでしょう。小津先生の映画では、何でもなく動いているようにみえて何でも束縛されていました。セリフの言い方も全て指示がありました。小津先生の鎌倉のご自宅に伺ったことがありましたが、土間に絵がたくさん置かれていて、「普通絵は掛けるものなのに、どうして置いていらっしゃるんですか?」と訊いたら、「それに気づいたのは君だけだ」と。小津先生に関しては、“こういう人のお嫁さんになりたい”と思ったのと思いを告白。 最後には、 若尾さん:やっぱり私は“映画女優”です。舞台もテレビも楽しいですが、やっぱり映画が好きです。 と大女優のオーラを放ちながら、あふれる映画愛を言葉にして会場を後にしました。 ※溝口健二没後60年、増村保造監督没後30年記念企画として開催された本映画祭は、「変貌する女たち」のサブタイトルのとおり、女性が主人公の作品に特化した上映ラインナップが最大の特徴です。日本映画が隆盛を極めた時代を彩った華やかな女優達をスクリーンでご堪能下さい。 |