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トークイベント
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藤原季節、金子雅和監督登壇
ステージに登壇した藤原は「今日は1000人くらいの方々が会場に来ていただけているということで、さすがにこれほど大きな行事だと思っていなかったので、ちょっと驚いているんですけど、皆さま、早く映画を見たいですよね。あと1年、我慢してください」とちゃめっ気たっぷりに挨拶。 撮影から約4か月ぶりにみどり市に訪れた感想を求められた藤原は「まだ4ヶ月しか経ってないんですか? 本当ですか? もう1年くらいに感じていました」と吐露し、「みどり市で撮影していた日々が自分にとってあまりにも尊くて、その時の記憶を思い出すと、すごく清潔で心強い気持ちになれる一方で、終わってしまったことがあまりにも切なかったので、必死に忘れようとしていたのかもしれません」とコメント。前日にみどり市に入ったそうで「赤城山のほうに行ったりしていたんですけど、改めてみどり市の、そして赤城の空気を吸うと、相澤さんを演じていた頃の自分が帰ってくるようで、すごくホッとしました」と笑顔を見せた。 そして、同プロジェクトがスタートした経緯や、込めた想いを聞かれた須藤市長は「一番のきっかけは、みどり市には岩宿遺跡があり、岩宿博物館もあるわけなんですけれども、相澤さんが苦労して発掘した資料については相澤記念館にありまして、私は当時から『仏像を作って魂入れず』という思いで岩宿博物館を見ていました」と胸の内を明かし、相澤忠洋さんの妻で相澤記念館の館長を務める千恵子さんにお願いをし、相澤さんが発掘した約4万点の資料の寄贈を受けたそうで「台帳を作って、国に申請して、国の登録有形文化財になったんですけれども、いろんな方々に相澤さんの生き様を、スクリーンを通じて世界にアピールをしていきたい。岩宿の価値、そしてひたむきに発掘に人生をかけた相澤さん、こんなところをクリーンを通じて伝えていきたいということで、今回この映画を作ることになりました」と明かした。 また、2012年に『きりゅう映画祭』に短編映画の企画を提出し、映画祭側から「桐生市とみどり市の自然を活かした作品を作ってほしい」というお願いがあり、2013年に『水の足跡』という短編映画を作って以降、みどり市との付き合いが始まったという金子監督は、相澤忠洋さんや考古学を題材にした映画をみどり市が制作するという話を聞いた際の心境については「実は自分が小学校4年生か5年生ぐらいの時に、学校の教材で相澤さんの書いた『「岩宿」の発見』という本を読んでいて、まさに相澤さんの一番の発見と言われている槍先形尖頭器を赤土の壁から発見した話を、10歳ぐらいの子どもながら読んだ時に非常に感動したというか、その時の土の色や光や吹いている風など、そういったものが目に浮かぶように見えてきて、子ども心に強いインパクトがありました」と回顧。 その後、相澤忠洋さんのことが心の中に残り続けたそうで「先ほど話した『きりゅう映画祭』に企画を応募したきっかけも、相澤さんが発掘した場所だったということでした。さらに言うと、『きりゅう映画祭』用に2012年に撮った短編を、2013年に東京で上映する機会があったんですけど、その場で映画祭の方から『将来また桐生市、みどり市で映画を作りたいですか?』と聞いていただいた際に、『実は納豆の行商をしながら旧石器を発見した相澤忠洋さんの映画を将来作りたいんです』と話したことがあったので、この企画をみどり市が作るということを知った時に、正直“自分以外に撮ってほしくない”、“これは絶対に自分がやらないとダメだ”、“やりたい”と強く思いました」と力強く語った。 続けて、脚本を考える際に大切にしたことを聞かれた金子監督は「相澤さんの書いた本であったり記録であったり、ほかの方が相澤さんについて書いたものをとにかく読み込んだんですけど、相澤さんは本当に波乱万丈の人生で、幼少期から色々なことがあって、その人生すべてを映画の2時間にまとめると、一個一個のことが薄まってしまうと思ったので、やはり相澤さんの人生のどこかにフォーカスを合わせなければいけないという風に思いました」と語り、「それで、自分がその子どもの時に『「岩宿」の発見』を読んで、槍先形尖頭器を発見したというその瞬間が、もっとも強く自分の中の相澤さんの物語としてあったので、それを中心にしようと思いました」とコメント。 加えて、タイトルに込めた想いについて金子監督は「相澤さんという人間のことを考えていた時に、相澤さんは古代に生きていた人たちの遺物を探し求めていましたけど、僕らは自分たちだけがこの世の中に生きていて、この世の中の主役が自分たちだと思っていますけど、おそらく相澤さんは僕らの前にもいろいろな人たちやものたちが生きていて、そういったものがあって今の自分たちがいるという世界認識を常に感じていたんじゃないかと思って、今は見えていないけど、確かにあったもの。それが土の中に眠っている。それは何なのかというものを描いていくということで、このタイトルにしました」と説明。 同タイトルについて、藤原は「僕たちの撮影の日々もまさに赤土との戦いであって、監督の脚本の中にも、相澤さんの著書の中にも、『赤土』っていう言葉がたくさん出てくるんですけど、赤土の中に石器はないという定説がある中で、僕は博物館で見て本当に驚いたんですけど、あの槍先形尖頭器を見つけるってどれだけの事だったんだろうって考えると、考古学者でない一人の青年が、ただ赤土を掘り続けた青年が、歴史を変えてしまった、人類の痕跡を発見してしまった。しかも相澤さんの戦いってその後何十年も続いていくんですよね。岩宿の発見の後も、亡くなる寸前まで赤土を掘り続けて、さらに昔の人類の存在を証明しようと最期までしていたので、まさに“赤土に眠る”石器との人生だったんだろうなと思うと、これ以外のタイトルってないだろうなって今は思っています」と感慨深げに語った。 改めて、主演に抜擢された際の心境と、実在した人物を演じるにあたっての役作りについて聞かれた藤原は「抜擢された時の気持ちは、責任重大というか、実在の人物を演じるということで、どこか僕と相澤さんとの間に何かしらの共通点があったりすれば自分も腑に落ちるんですけど、“なぜ自分なのか”と。監督のように小学校の時から相澤さんを尊敬していたわけでもなかったので、“どうして自分なんだろう”って思いました」と当時の胸の内を明かし、「自分とかけ離れた相澤さんという人との縁をつないでいくために、一生懸命努力したというか、相澤さんが残した著書を監督にお借りして読んだり、お墓参りに行ってみたり、自転車を漕いでみたり、とにかく天国の相澤さんに自己紹介するような気持ちでいろいろ準備をしていました」と告白。 加えて、携帯電話の待受画面も相澤さんの銅像の写真にしたそうだが「撮影現場に入ると状況が変わってきまして、僕の目が変わったのか、金子監督が相澤さんに見えてきて(笑)。本当に不思議で、どこからどう見ても金子監督が相澤さんに見える。台本を覗き込んでいる時の目が、昔の相澤さんが石を見つめている目に見えて、“そうか、金子監督と相澤さんとの間に何かしらの運命と呼ばれるものがあるとしたら、そこに巻き込まれる形で自分はこの物語に呼ばれるのかもしれない”と思って、会ったことのない相澤さんを追いかけるよりも、金子監督を追いかければ自ずと相澤さんにつながるはずだと思って、待ち受けを金子監督に変えて(笑)。金子監督が山を登っている後ろ姿を待ち受けにして、最近までその待ち受けを変えられなかったんですけど、そのくらい金子監督を途中から追いかけ始めるっていう役作りに変わっていきました」と打ち明けて会場の笑いを誘った。 そんな藤原は、昨年9月に岩宿博物館で行われた制作発表の会場に、相澤さんと同じように東京から自転車で駆けつけたが、スタッフも関係者も藤原が自転車で来ることは知らず、それを最初に発見したという須藤市長は「その時から藤原さんが相澤忠洋役に入り込んでいると思いましたね。あの当時、相澤さんも自分が発掘したものを明治大学まで自転車で持って行って専門家に見てもらって、また自転車で帰ってきて、翌日は納豆の行商をする。そんな生活を毎日続けていたことを藤原さんが体験をしたわけです」と称賛。 藤原は、クランクアップの翌日に、その自転車で東京まで戻ったそうで「雨の中でした。二度とやりたくない。皆さま『帰りのほうが楽ですよ』っておっしゃるので、僕もそのつもりでいたんですけど全然きつかったです。来る時は10時間、帰りは13時間くらいかかりました。多分、心が折れていたんだと思います(笑)。天気も悪かったですし、一人で寂しかったですね」と遠くを見つめた。 さらに、撮影は昨年10月から行われ、無事にクランクアップしたそうで、撮影で大変だったことを尋ねられた藤原は「先ほどメイキングをご覧になったと思うんですけど、本当に大変なところや危険なところにはメイキングカメラ入れてないなっていうのが正直なところで(笑)、僕たちが撮影していた場所って、早朝の陽が昇る前に集合して、暗闇の中を山を登り始めて、やっと撮影の地に辿り着くというような感じでした。本当に危ない場所だったり、景観の綺麗な美しい場所を探し求めて撮ったので」と苦労を明かし、「なので、どこが大変だったかと言われるとすべてですね。日が暮れると下山することができなくなるので、時間との戦いでもありながら、体力との戦いでもあったんですが、そこはスタッフさんにケアもしていただいたので、なんとか乗り越えることができました」と感謝した。 続けて、みどり市や群馬県での撮影で印象に残っていることを聞かれた藤原は「やっぱりロケ弁の“登利平”ですね」とコメントして地元の方々を笑わせ、「一度、登利平を出していただいて、スタッフみんなと食べていて、『なんだこのタレは。米が足りないぞ』って言って、うますぎるってなって、その数日後にスタッフさんに聞いたら『もう一回食べたい』って言っていたので、僕が調べて発注しました。だから現場で2回出たんですよ(笑)。そのぐらい美味しくて、今日もいただいたんですけど美味しかったですね」とにっこり。 みどり市の酒蔵(日本酒醸造所)である近藤酒造のお酒もたくさん飲んだそうで、金子監督が「撮影の途中で息抜きに打ち上げみたいなのがあって、地元のお店にスタッフ・キャストみんなで行って、そのお店の(日本酒の)赤城山を全部飲み尽くしました」と明かすと、藤原は「赤城山が足りなくなって、ひやおろしも秋のお酒もないってなって、夏酒も飲み尽くしてもうお手上げ状態っていう感じですごかったですね」と回顧。その場にいた大川も「店員さんが『もうありません』って言った時の顔が今でも忘れられないです」と声を弾ませた。 最後に、メッセージを求められると、藤原は「『赤土に眠る』は、夢を追いかけるということを自分に教えてくれる映画というか、相澤さんという存在がそうなんですけど、夢を追いかけるっていうのは喜びもある一方で、悲しみだったり孤独な時間っていうほうが実は長かったりして、喜びだったり達成感っていうのは一瞬で、それを追いかける時間っていうのはひたすらに孤独で悲しいものだって、相澤さんの存在が教えてくれて、それでも夢を追いかけることを相澤さんが人生を通して教えてくださったと思うので、安易な言葉でない、夢を追うとはどういうことなのかというのを伝えてくれる映画だと思います。楽しみにしていてください」とアピール。 金子監督は「かなりダイナミックな、みどり市を中心とした大自然の映画になっております。同時に人の心であったり、命の重さであったり、そういったことを繊細に描いている映画でもあります。相澤さんのことを知っている人でもまだ知らない方でも楽しめる映画に仕上がっていると思いますので、これから日本全国、そして世界へ向けてたくさんの方に見ていただけるように発信してまいりますので、応援していただければと思います」と挨拶し、須藤市長は「公開に向けてですね、今日お集まりをいただいた皆さんがSNSや、いろんなところでまた発信をしてもらうと、この映画の魅力がもっともっと伝わると思っていますので、ぜひ来年の公開まで、いろんなところに情報発信をしていただければと思っております」とお願いした。 |
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『赤土に眠る』
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藤原季節
中島セナ
監督:金子雅和
©2027「赤土に眠る」プロジェクト
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