この度、レンブラントに情熱を注ぐ人々の愛と欲を映し出す本作に魅了された吉岡里帆、中江有里ら著名人の方々より推奨コメントが寄せられました。
吉岡里帆(女優)
レンブラントがもし今も生きていたなら、自分の作品に心酔し議論を交わし争いを繰り広げる人々をどう見るだろう…。もしかしたらその姿を自身の手で描きたくなるんじゃないだろうか。レンブラントに翻弄される者達の様はそれほどまでに魅力的で画になる。
中江有里(女優・作家・歌手)
レンブラントにあぶり出される愛と欲望は果てしない。
世に認められたい、コレクションしたい、独り占めしたい……美の価値とは何なのか、なぜこれほどにこだわるのか。絵画に群がる人々が笑顔で隠すプライドと駆け引きは、悲喜劇となっていく。
私たちはレンブラントの画を観ているつもりで、実は画に観られているのだ。
山田五郎(評論家)
美術作品の価値と値段は、誰がどうやって決めているのか?誰もが抱く疑問の答がここにあります。
アートの世界の裏側を描けば、実話ドキュメンタリー映画でもこんなにドラマチックになるのですね。
中村剛士(『青い日記帳』主宰)
作品を見極める独自の嗅覚をそなえレンブラントを「発見」する若き画商。絵に描いたような古城でひとり静かにレンブラント作品と向かいあう貴族。ルーヴル美術館で自慢のコレクション展を開催し悦に入るアメリカの大富豪コレクター。ロスチャイルド家から競売に出された2点のレンブラント作品の購入を巡り争い外交問題にまで発展させてしまう美術館。ひとりの画家を巡る4つの物語が織りなす極上のドキュメンタリー。
池上英洋(東京造形大学教授・美術史家)
絵を買うのはとても勇気のいることだ。生きるために必要な支出ではないのだから。でも買って帰ったその日から、どこに飾ろうか、などとあなたはひとしきり悩むことだろう。それを眺めて気分が晴れたりする日もあるだろう。そしていつかその絵が、子や他人の手に渡る日を迎えるのだ。このように、すべての絵に、それを日々眺めてきた人たちがいる。この映画は、そうした「絵を持つ人、そこに美を見出す人」がいて初めて絵が美術作品となることに気付かせてくれる。
小川敦生(多摩美術大学芸術学科教授)
絵を所有するということは、絵を家族にするということである。この映画を見ると、所有者が格別の愛情を注いでいることがわかる。不思議なことだが、もはやお金の問題ではなくなるのだ。
五木田聡(東京富士美術館館長)
ドキュメンタリーでありながらサスペンスの趣のある洒落た映像の叙事詩。
私も美術館人のひとりとして、著名なキュレイターや画商やコレクターたちの実像と虚像を垣間見ることができて面白かった。レンブラントの特質と響きあう、リアリズムによる人間の内面の葛藤を表現し得た作品。
高野史緒(小説家・『翼竜館の宝石商人』著者)
レンブラントの絵筆は、肖像画に描かれた人々の内面のみならず、その絵を手にする者、コレクションする者、関わる者たち全ての光と影をも描き出す。ウケ・ホーヘンダイクのカメラはそのさまを、絵画鑑定士のごとく冷徹に追ってゆく。『みんなのアムステルダム
美術館へ』では上質な知的コメディのような面を見せてくれたが、本作は緻密なコン・ゲームのようだ。ホーヘンダイクの映画は淡々としたドキュメンタリーでありながら、その多彩さと魅力は一流のエンターテイメントだ。
田中靖浩(作家・公認会計士『名画で学ぶ経済の世界史』著者)
株式市場よりはるかにエキサイティング!レンブラントに魅せられた者たちが織りなす愛あるマネー物語。
高画質で迫る美しい絵画とあいまって、画面から目が離せない!
永井龍之介(永井画廊 代表取締役)
名画は見ている。レンブラント名画の登場人物たちは、過去、現在、未来にわたり、所蔵者の“格”を問い、様々な人間模様を見続けている。オランダ、フランス各国を挙げた争奪戦。画商人生を賭けた真贋問題。個人コレクターの情熱と資金力。
三つのエピソードが交錯し、劇的に展開するストーリーを通して、いま名画を持つのにふさわしいのは誰か、自問自答しながら鑑賞することも、“名画の意義”を考える貴重な機会になると思う。“人生は短し芸術は長し”。
長谷川一英(アートコレクター)
優れた芸術作品には、人々の価値観や人生観をも変えてしまうエネルギーがある。レンブラントのようなオールドマスターともなると、手元にあることで人生が激変するに違いない。アートのドキュメンタリーでありながら、国の威信をかけた争奪のサスペンス、オークションで見出した作品にまつわる推理劇と、なんともドラマチックな展開。
レンブラントを手にしようと奮闘する人々、一癖も二癖もありながらも、知的で情熱に溢れ、不思議な魅力をたたえている。
藤原えりみ(美術ジャーナリスト)
レンブラント作品をめぐって繰り広げられる、画商、美術研究者、アートコレクター、美術館の駆け引きと争奪戦。ある絵画の真贋問題を軸に、レンブラント作品に対する愛や執着、所有欲や自己満足、学術的探究心や野心が絡み合い、さらにはフランスとオランダの外交問題にまで発展するスリリングな展開に唖然呆然。通常は陽のもとに晒されることのないアートマーケットの裏側を捉えるホーヘンダイク監督の眼差しとほろ苦い余韻を残す結末は、「美術作品は誰のものなのか」と問いかけてくる。
三浦展(消費社会研究家・『第四の消費』著者)
レンブラントと同じ画力を持った全く無名の新人が彗星のように現れて、レンブラントと同じ絵を描いたら、その絵の値段はいくらだろう。200万円? だとしてもレンブラントの200億円には遠く及ばない。同じ絵でもレンブラントが描いたという事実をも人は評価し、価格にする。レンブラントの絵だと思うから真剣に見るし、200億円だと思うからますます必死に見るのだ。交換価値の高さが使用価値を高めるのだ。それは愚かな行為だが、人間の本質である。
商品には使用価値さえあればいいというものではない。時計は時間を知るための道具であるが、それなら500円の安物でよい。だが何百万円もする腕時計を買う人は、自分の富を示しセックスアピールを増すために身につける。それが彼らにとっての時計の使用価値である。使用価値は人によって異なるのだ。では絵画の価値とは? スピード感に溢れるサスペンス映画のようでありながら、とても哲学的な問題を考えさせられる映画だ。
三潴末雄(ミヅマアートギャラリー エグゼクティブ・ディレクター)
人々の興味が絵の芸術性を忘れて、値段ばかりに目を向けられていると、映画の中でエルンスト・ファン・デ・ウェテリンク教授(美術史家、レンブラント専門家)が嘆いていたが、いろいろと考えさせられる必見の映画だ。
宮下規久朗(美術史家・神戸大学教授)
オランダの巨匠レンブラントの作品のほとんどは美術館に収まっているが、個人が所蔵しているものもある。たまにそれらが市場に出ると、画商や美術館どうしの激しい争奪戦や真贋論争が起こる。一方、先祖伝来の名画を独り占めして楽しむ貴族もいる。こうした悲喜劇を淡々と追ったドキュメンタリー映画。名画は公共のものであるべきだと思われがちだが、実は個人にひっそり所有されて静かに愛されるほうが幸福ではないのか。美術のあり方について深く考えさせられた。
藪前知子(東京都現代美術館学芸員・「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展キュレーター)
レンブラントはみんなのものだと美術史家は言う。だからこそそれを所有する欲望は、神に近づくような高揚感を人々にもたらす。公共心を試されつつも、貴族やコレクター、美術館、政治家たちは、それぞれ異なる欲望でそれをまなざす。人間の美しさも醜さも描いてきたレンブラントの絵画が、時を超えてなお、様々な人間の表情と本質を映し出す鏡であることに驚かされる。
山本豊津(東京画廊社長・『コレクションと資本主義「美術と蒐集」を知れば経済の核心がわかる』著者)
17世紀のオランダでは再び資本主義が活性化して、レンブラントも大邸宅を構えられるほど絵(肖像画)の売買が盛んでした。取引を仲介する画商が現れたのもこの頃かもしれません。絵画は持ち運び易いサイズになり、画題の対象もキリスト教や王侯貴族たちから豪商たちを含む庶民までに拡がります。肖像画を描く画家たちも増えましたが、当時から現在までに高い評価を得ているのはレンブラントだけです。映画『レンブラントは誰の手に』では、国家やそれに属する美術館ばかりでなく、貴族の末裔であるコレクターや画商の生々しい美術取引の現状を窺い知ることができます。アートの話題が飛び交う昨今、美術品がどのように受け継がれて行くのかを知るには興味津津の映画です。
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