“ファンクの帝王”JBことジェームス・ブラウンの姿を描いた
『ジェームス・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~』 がまもなく公開となります。 これを記念して5月27日(水)、東京・代官山蔦屋書店にて、ブロードキャスターとして活躍し、音楽にも造詣の深いピーター・バラカンさんと音楽評論家の吉岡正晴さんによるトークイベントが開催されました。映画についてはもちろん、JBが活躍した頃の社会情勢や音楽業界、そして自身がかつてJBにインタビューした際のエピソードなどが語られました!! 日付:5月27日 |
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バラカンさんは、映画の中でもレコーディングの様子が描かれる名曲「「プリーズ・プリーズ・プリーズ Please, Please, Please」のライヴ音源を紹介。
吉岡さん:当時のキング・レコードの社長のシド・ネーサンはレコーディングを見て『何だこりゃ? 楽曲になってない!“プリーズ”しか言ってない。ダメだこれは』って言うんです。確かに、デモテープのようにサビだけある感じ。 と解説。 バラカンさん:映画の中にも出てくるけど面白い!確かに当時の概念で言うと曲になってない。それはものすごい画期的なこと。 とかたります。 |
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また2人は、JBが音楽的な才能だけでなく、ビジネスマンとしても優れていたと力説。当時「R&B」を聴くのは低所得の黒人が中心で、売り上げはアルバムではなくシングルがほとんどだったが、JBはライヴアルバムのリリースを主張。
バラカンさん:JBは自分がライヴアルバムを作れば売れると確信していた。 と市場の流れさえも変えてしまう才能であったと語る。また吉岡さんはその“人たらし”ともいうべき側面にも言及し 吉岡さん:彼は全米各地のラジオ局のDJの名前を憶えてて、プロモーションで各局を回る時もちゃんと名前で呼んでくれるんです。そういう人心掌握術がすごい! と明かし、 バラカンさん:映画を見ても思ったけど、相当なビジネス手腕があった。 と納得。 |
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またJBは黒人ミュージシャンの地位向上を念頭に、常に周囲に自身をファーストネームでなく敬意を持たせるべく「Mr.ブラウン」と呼ばせ、自らも周りの人間を「Mr.」を付けて呼んでいたという。吉岡さんもバラカンさんもJBへのインタビュー経験があるが、バラカンさんはそうした“ルール”を知らず
バラカンさん:1度だけ80年代にインタビューした時、知らずに『ジェームス』と呼んだら本人に『Mr.ブラウンだ』と言われて『失礼しました』と謝った経験がある(苦笑)。 吉岡さん:79年に初めてライヴ後の楽屋でインタビューする際に、マネージャーから必ず“Mr.”と呼ぶようにと言われました。 吉岡さんはその後、アメリカの彼の自宅に呼ばれてインタビューをしたこともあったが、その豪邸について「門をくぐると“James Brown boulevard”(=ジェームス・ブラウン大通り)という看板が掲げられていた。すごい車がたくさん並んでて『パーティでもあるのか?』と聞いたら、全部彼の車だったといったエピソードを披露。そのインタビューでは、JBから彼の娘がレコードを出す際の日本でのレコード会社を探してほしいと頼まれたそうで 吉岡さん:聴いてみたらこれがしょぼかったんですが…(苦笑)、彼はなかなかの親バカでしたね。 と意外な一面も明かし、会場は笑いに包まれました。 |
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そんな“生”のJBを知る2人だが、共に映画でJBを演じたチャドウィック・ボーズマンを大絶賛! バラカンさん:JBが憑依してる。JBの喋り方や動き方を知ってる人が見たら『気持ち悪い!』と感じるほどそっくり。 吉岡さん:南部独特の喋り方もそうだし、ダンスもすごいです。 吉岡さんはまた、チャドウィック・ボーズマンが本作の前の『42 ~世界を変えた男~』では初の黒人メジャーリーガーのジャッキー・ロビンソンをこれまた見事に演じていることに触れ 吉岡さん:ロビンソンをやったので、次は自伝じゃない作品をやりたいと思っていたけど、(プロデュースを務めた)ミック・ジャガーらにも説得されて、JB役を引き受けたそうです。ジャッキー・ロビンソンとJBという2人の偉人を演じるというプレッシャーをものともせずにやり遂げたのはすごい! 既にバラカンさんは2回、吉岡さんに至っては4回も本作を鑑賞したそうで、日本での劇場公開を前に「本当に素晴らしいのでぜひ見てほしい」と呼びかけ終了となりました。 『ジェームス・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~』 は5月30日(土)より公開です。 公式HP:jamesbrown-movie.jp |