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プレミア上映会舞台挨拶
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映画上映後、大きな拍手に迎えられてステージに登壇した小松監督は「この映画はずっとフジコさんや、フジコさんをずっと大好きでいてくれた方に向けてつくろうという気持ちでやってきたので。今日、映画を⾒終わった後の皆さんのお顔を⾒るのは本当にうれしいこと。どこかでフジコさんも⾒てくれてるんじゃないかなと、先ほど菅野さんとも話していました」と挨拶。 ![]() 続いて菅野が「わたしはかつてフジコさんの人生を描いたドラマで主演をさせていただいたことがございまして。フジコさんの人生に触れて、本当に唯⼀無⼆の素晴らしい方だなと思っていたんですけれども、こうしてナレーションという形でまた作品に関わらせていただけたこと、本当にうれしく思っています」と切り出すと、「ナレーション録音の当日は、偶然にも渋谷でフジコさんの衣装展⽰をやっていたんです。なので、そこでフジコさんの衣装を拝⾒してから、スタジオでナレーションを録りました。またこの渋谷の映画館で皆さんに⾒ていただけることが、なんだか運命のようにうれしく思います」としみじみと語った。 ![]() さらに完成した映画について菅野は「フジコさんの人生は、すごく困難もあったと思いますが、それでもピアノに向き合うことをやめずに続けられました。それはやはり、ひとつの芸にまい進する方だからこそ到達できる境地で。だからこそ本当に優しく、柔らかな音色だと思うんです。こうして映画でまたフジコさんの演奏に触れられるというのは、本当に素晴らしいこと。わたしも改めてフジコさんのピアノの素晴らしさに元気をいただきました」と語る。そしてそんなフジコの人柄については「少⼥のようでありながら、気難しい⼀⾯もお持ちで。つかみどころがないようでいて、ハッキリと断⾔するようなところもある。相反するものを内⾯に抱えているからこそ、あの⽟⾍⾊のような音色が生まれるのかもしれません」と分析してみせる。 本作は、小松監督が約12年間にわたってフジコ・ヘミングを追い続けたからこそ撮れた、彼⼥の素顔に迫ったドキュメンタリー映画。最初の出会いを「最初は廊下の向こうから、キャッ、と顔を隠されるような、少⼥のような方でした。」と振り返る。また撮影に際しては「本音の部分を残したかった」とのことで、そのため、なるべく自然体であることや、日常の暮らし、日常の何気ない会話を映し出すことに注⼒した。「撮影の日は出会ってから別れるまでカメラを回しっぱなしにしていました。そうすると素材はどんどん増えてしまうんですけれども、その中に真実があるような気がしたので。結果的に12年間、フジコさんを⾒つめることができて。たくさんの素晴らしいシーンや、フジコさんの本音の⾔葉が撮影ができたかなと思います」。 そんなふたりの関係性に菅野も「映画を拝⾒して、フジコさんの小松監督に対する信頼をすごく感じました。やはりたくさんの人に囲まれてたからこそ、人の本質を⾒つけたんじゃないかなと思うんです。傷ついたこともおありだったと思いますが、そんな中でも小松監督の前では本音を語られていて。こういう出会いがあったのはフジコさんにとってもすてきなことだったと思うし、やはり芸を極めてらっしゃる方のお⾔葉は、広く私たちにも『ああ、そうだな』と思えるものがあるし、ハッとさせられました。(苦難を)乗り越えていらしたからこその先輩の⾔葉に、私も学びをいただきましたし、きっと他の方ではその⾔葉を引き出せなかったんじゃないかなと思いました」と感心した様⼦。 今回はアーティストのドキュメンタリーであるため、ナレーションによる余計な説明は極⼒排除し、フジコの⾔葉と日記、そして彼⼥の演奏で映画を語ることを目指したという小松監督。「少し説明不⾜なところも、お客さまの中で余⽩として感じてほしいなと。『きっとこうなんじゃないの』『わたしもこういうことがあったわ』みたいに感じてほしいなと思ってつくりました。だから何度も⾒てほしいですし、今回菅野さんに絵日記を読んでいただけたということが僕にとってはすごく重要でした。何⼗年も前に書いた、特に40代の苦しい時期の、その時のつらい思いなどを彼⼥なりのエンターテインメント、ファンタジーの中に閉じ込めているんです。すごく寂しい、ひとりぼっちのクリスマスなのに、絵本を⾒るかのような、おとぎ話のような情景で描ける。これを何⼗年もたった今、菅野さんに読んでいただいたことで、⾔葉の息遣いや、フジコさんの思いが伝わってきて。スウェーデンの雪景⾊が頭に浮かんだんですが、そういったことが本当に感謝でした」。 そんな菅野のナレーションは、フジコ自身の思いもあったという。「実は制作中に『ここの日記はナレーションにしようと思っています』とフジコさんと話していて、『菅野さんがいいんじゃない︖』というんです。『でもお忙しいから』という話はずっとしていたんですが、今回それがかなったことで、喜んでいただけたかなと思います」と明かした小松監督。 菅野もフジコに何度か会ったことがあったという。「本当に数少ない機会ではあったんですけれども、ドラマの撮影中に、ベルリンのフジコさんのご自宅にごあいさつに伺ったことがありました。映画の中でも、何度もフジコさんのおうちが出てきてますけど、本当に絵本の中のおうちのようで。緑に囲まれていて、猫がいて、フジコさんの好きなものがたくさんあって。本当に少ない、気を許した人が近くにいてというようなところで、ごあいさつさせていただきました」という菅野の思い出話に、小松監督も「ベルリンで会うのは本当に珍しいですよ。」と⾔い添えていた。 ピアニストとして第⼀線で輝いた生き方をしてきたフジコ同様に、⼥優としてキャリアを積み輝いた生き方をしている菅野に「輝くために大切にしている秘訣は︖」という質問が。それには「フジコさんを拝⾒して、⾏きたいと思ったところに⾏ったり、遠くに⾏くことは大事なんだなと思いました。今いる自分の場所も大事なんですけれど、価値観をリフレッシュしてくれるというか。自分の中の⾵通しが良くなる気がします。今はまだ⼦供に手がかかる時期なので、思うように旅⾏ができないんですが、旅するように生きて、旅するように演奏していたフジコさんのように、私も時が来たら旅を再開したいなと思います」コメントした菅野。ちなみに今、⾏きたいところのひとつはウユニ塩湖とのことで、「ペルーのマチュピチュに⾏った時には、⾼⼭病があるよと⾔われて心して⾏ったんですけど、その時は短い滞在だったこともあって万全な体調では臨めなかったので。そういった意味も込めて、次はウユニ塩湖に。元気なうちに⾏きたいなと思います」と決意を語った。 そんなイベントもいよいよ終盤。最後のメッセージを求められた菅野は「フジコさんの演奏をスクリーンで⾒ることができる機会なので、ぜひいい椅⼦の劇場でご覧いただければと。フジコさんの『ラ・カンパネラ』や『月の光』といった代表的な演奏を堪能できる映画です」と語ると、小松監督も「映画は昔から100年残ると⾔われていて。この映画を撮っている時もフジコさんと『これを未来に残したいね』といって、⼀緒につくってきました。これで皆さんがいつでもフジコさんに会えるような形にできたかなと思っています。それともうひとつ、実はフジコさんは1930年代の音色を目指している方だったので、それを今の時代の映像と音響で聴けるというのは、なかなかないことで奇跡だと思う。そのあたりも楽しんでいただけたらなと思ってます。さらにパンフレットも頑張ってつくりました。フジコさんの思いも⼊れているので、また劇場で再会していただけたら」と会場に呼びかけた。 |
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『フジコ・ヘミング 永遠の音色』
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出演:フジコ・ヘミング
監督・構成:小松莊一良
配給:日活
(C)2025「フジコ・ヘミング 永遠の音色」フィルムパートナーズ
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