湯山玲子・宮台真司 賞賛! 「視覚優位の現代における “視覚を止めよ!”という良い処方箋」 己の“美”に嫌気がさした女、“美”に執着する男、欲望の中で己を失う男―― 日時:2017年2月1日(水) |
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日本の映画界にも数多くのファンを持つ中国の鬼才ロウ・イエ監督の最新作『ブラインド・マッサージ』の公開記念トークイベントが2月1日、アップリンク渋谷にて行なわれ、ロウ・イエ監督作『パリ、ただよう花』(2013)の公開記念時にも〈愛とセックス〉について熱いトークを交わした湯山玲子さん(著述家・プロデューサー)と宮台真司さん(社会学者)の再共演が実現。
『ブラインド・マッサージ』について・・・・ 湯山さん:ロウ・イエ監督作は全部見ているのですが『スプリング・フィーバー』と双璧を成すくらい好きです。ロウ・イエは音楽家にたとえるならブルックナー。世界観の縛りが強烈で、観客を閉じた場所に囲ってしまう。ものすごく脳に訴えてくるタイプの映像作家。いまは視覚優位の時代だと思うんです。インターネットが発達して視覚から得る情報でいっぱいになってしまって、その他の感覚が退化してしまっている。でも、この映画を観て最初に気付かされることは、視覚が閉じたところにより豊かな世界があること。そっちに生きたほうが幸せなんじゃないか?一体どっちが幸せなのか?と考えさせられたし、ざっくり心を刺したところでもあります。 と感想を述べ、更に 湯山さん:私は自分の著作で‟いまは恋愛なき時代。恋愛を因数分解すると性欲と友情”と書いているのですが、本当はそうじゃないよね。近年では他人同士の間に起こる科学変化や「あなたにここにいて欲しい」というような境地を描いた恋愛映画の成功例は少ないのだけど、この作品を観て‟これが恋愛というものだよな”と久々に感じさせられた。自分の子供に恋愛が何かと説明するときは『ブラインド・マッサージ』を差し出します。 と熱弁。 |
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一方で・・・
宮台さん:主人公の小馬と風俗で出会ったマンは恋に落ちるが、それについては説明がなく物語としては無理がある。しかしロウ・イエがすごいのは、そこには‟だって匂いがよかったから”というような視覚以前・視覚外的な感覚があるということを、映像だけで説得する力がある。僕たちが〈言葉〉と〈言葉以前〉と言うときに、恋愛は〈言葉以前〉のシンクロニシティと言われるけれど、ロウ・イエは『ブラインド・マッサージ』でそれを変換してみせた。僕たちが素朴に〈言葉〉と〈言葉以前〉と言ってしまうことに対して、それは「目に見えるものを頼って識別する=言葉に頼る」という意味では終わっていて、実際にあなたの使っている言葉は何も意味がないと突きつけてくる。これは観た瞬間にやられました。 と感嘆。 宮台さん:たとえば、男の子がセックスについて‟ちゃんとできているか”と気にしてしまうのは視覚的なヴィジョンを概念化しているから。実際に僕たちがセックスをするときに使っているのは視覚じゃない。ものすごく近接しすぎていて何も見えないし、大抵女の子は目をつぶっているもの。そういう意味でも『ブラインド・マッサージ』は性愛論的にはオーソドックスに非常に正しい。現代に対する‟視覚を止めよ!”‟視覚をベースにした概念は使うな!”という良い処方箋になっていると思います と社会学者らしいアプローチの分析。 また、本作のラストについて 湯山さん:最後、〈すべてが幻だったかのように〉という言葉あるけれど、最近で言えば『君の名は。』にも共通する部分がある。私たちは夢を見ると夢のことは忘れてしまうけれど、覚えていないことに対して涙することがある。大事にしていることも忘れてしまう。それは小さいことなんだけれどみんなの共通感覚で、確かだったものが幻のようになってしまうのは、人間を人間たらしめている一つの悲しさ。作家性は違えど、ロウ・イエ監督と新海誠監督が同じことを描いているのが面白いと思う。 と、イベントは大盛況のうちに幕を閉じた。 |
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ロウ・イエ監督『ブラインド・マッサージ』絶賛公開中!
物語・・・ ある日、マッサージ院にシャーを頼って同級生のワンが恋人のコンと駆け落ち同然で転がり込んできたことで、それまでの平穏な日常が一転、マッサージ院に緊張が走る――。
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監督:ロウ・イエ
脚本:マー・インリー
撮影:ツォン・ジエン
原作:ビー・フェイユイ著『ブラインド・マッサージ』(飯塚容訳/白水社刊)
編集:コン・ジンレイ、ジュー・リン
出演:ホアン・シュエン、チン・ハオ、グオ・シャオトン、メイ・ティンほか
配給・宣伝:アップリンク
2014年/中国、フランス/115分/中国語/カラー/1:1.85/DCP/原題:推拿/日本語字幕:樋口裕子