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『河童の家』芝田日菜監督特集
従来の映画づくりにとらわれず、「撮る」ことを通してメディアとしての映画の再発見を試みる芝田日菜。現在、東京藝術大学大学院先端芸術表現科に在籍し、映像作家として活躍する芝田監督の初劇場公開となる「『河童の家』芝田日菜監督特集」。 今回、本上映のアザービジュアルが完成。『河童の家』の複数のシーンを組み合わせたビジュアルで、画面を通り過ぎている人影や2階に所狭しと置かれた荷物の数々など、まさに何かの“気配”を表現したデザインに隅から隅まで目を凝らしたくなる一枚となっている。 ▼イベント詳細 連日20時より上映 *敬称略 |
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限定300部パンフレット販売
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8名からの推薦コメント
七里圭(映画監督) 草野なつか(映画作家) 家という生き物は、人がいない間・空っぽの間は何を考えて過ごしているのか。住人の住み替えが起きるたびに家は生まれ替わっているのか、生き直しているのか。もしくは家そのもの自体は何も変わっていないのか。 <いきもの>が画面内に増え最初は八百万の神について考えていたのですが、中盤終盤に差し掛かっていく展開のなかで、<それ>はもっと軽やかでもっと触感のある存在へと変わっていったあの快感のような感覚、この映画のほかでは感じたことのないような魅力がそこには溢れていました。 それから、『水面に映る家』を観て、監督・芝田日菜さんの問題意識?というか、問い?のようなものが、自分が持っているそれとすごく近くにあるような気がした。またゆっくり、いつかお会いできたら嬉しいです。 川上さわ(映画監督) 山本浩貴(「いぬのせなか座」主宰、小説家・デザイナー・演出家) のもとしゅうへい(作家・漫画家・イラストレーター) そのプロセスに映画という名前が託されて、わたしたちの眼の前で光るとき、みえなかったはずの世界はいっせいに、次々と手を挙げはじめる。みえない。けれど、あるのがわかる。ああそうだ、世界というのは、もともとずっとそうやって、わたしたちのそばにいた──そう思い出す。 遠藤薫(美術家) (と、このように、映画を観る前に映画のレビューを書いてみた。観る前にレビューを書いてみたくなるような不可思議な映画であり、さらには観終わった後も間違いなく不可思議で素晴らしい映画だな、と思える映画であったのだけれど、観終えたあとの私は、河童にはなりたくないな、やっぱりなりたくないなあ、と思い直し、空き家に背を向け足早に自宅へ帰る。) 竹久直樹(写真家) 川村智基(劇作家・演出家・所属:餓鬼の断食) <気配>に触れる——
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『河童の家』芝田日菜監督特集
メンテナンスのために青年が空き家を訪れる。誰もいないはずの家には複数の世界が、複数の仕方で共在し、そこでは女性たちがそれぞれその家で生活しており、ときに交差する。50年前に建てられたものの、誰にも住まわれることのなかったある一軒家との出会いから生まれた劇映画。撮影準備のための滞在期間に起こった印象的な出来事を起点に、役者やスタッフとの新たな協働の形を模索するなかで生まれた、映画を通して見出された物語。 暗闇で仄かに光るヤコウタケというキノコと、暗闇でスクリーンにイメージが投影される映画というメディアを重ね合わせ、「映画とはなにか」を自らに問いなおすようにして制作された第一作。映像制作の経験者不在のなか、日没から深夜にかけてわずかな照明で画づくりすることで、映画を発見するようにして撮影されたこの作品は、撮ることを通して世界を発見する歓びに満ちている。 濁った川に映る家の映像。しかし水面のゆらめきや横切る水鳥や風によってイメージは変容してゆく。カメラを手にして間もない頃、散歩中に何気なく記録された短い映画。その、ごく普通に起こる小さな奇跡への驚きが、以降の芝田監督の映像制作の出発点となった。 |
©️芝田日菜













