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ラオスの森の民がわたしたちに教えてくれることノマド生活を送る少数民族の撮影に世界初成功した、映像人類学のドキュメンタリー映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』予告編&推薦コメント解禁! カナダ北部で暮らすイヌイットの文化・習俗を記録した1922年の映画史上初のドキュメンタリー映画『極北のナヌーク』から100年、日本発の映像人類学のドキュメンタリーとして、シアター・イメージフォーラムにて3月19日(土)より公開されるのを前に予告編、追加場面写真及び推薦コメントが届いた。 |
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追加場面写真
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推薦コメント解禁<コムアイ(歌手・アーティスト)>文化人類学/言語学のフィールドワークについていっているような感覚で観る映画でした。ムラブリの人たちのシャイな感じに観ているこちらも照れてしまう。けれど夜闇で火を囲むと、とたんに饒舌になり物語を語ってくれる姿が印象的でした。プロジェクトはまだまだ続きそう。どんな続編が出てくるのでしょうか! <奥野克巳(文化人類学者)>私自身はマレーシア・ボルネオ島の同じく森の民プナンの調査を2006年から行っているが、彼らもまた、平地では敗者のように見えるが、森に入ればグレート・ハンターとして、神々しく感じられることを思い出した。暑いのに涼しいし、ダラダラ過ごせて、なんとなく生きていける安心の森。森を愛してやまないムラブリの気持ちは、私には実によく分かる。 <四方田犬彦(映画誌・比較文学研究)>国境を自在に横断するはずの幸福な民ゾミアは、どこへ行ったのか。長きにわたってタイとラオスに分断され、お互いを知らず生きる山岳民族。かつてユーゴ内紛時に現地へ向かった金子遊は、ここでも政治による大地の分断、民族の国家への帰属強要に批判的な眼差しを向けている。 <北村皆雄(ドキュメンタリー映画監督)>村へ行っても、なぜ森を思うのか?森の生活とは何か?僕はボルネオで、町に移住して結局森に逃げ帰って暮らす人たちがいたことを思い出した。森を捨てても豊かにはならないのだ。 <川瀬慈(映像人類学者)>森に根付いた生活を営みながら、森の外の世界ともつかずはなれずしなやかに交わるムラブリ。21世紀の狩猟採集民の姿を克明にとらえた驚くべき本作から、僕たちはきっと何かを学ぶことができるはずだ。さあ豊穣な森の世界へようこそ! <関根秀樹(和光大、桑沢デザイン研究所、多摩美大等の講師/火起こし世界チャンピオン)>古今東西の2万5千冊の本と1万冊以上の漫画を読んできたぼくだが、まだまだ見たことも聞いたこともない暮らしや道具や技術は無数にある。 |
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『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』公式サイト: Twitter: 人食い伝説によって、たがいに憎しみあうムラブリ族に日本の言語学者が対話の力で融和をもたらす映像人類学の可能性を切りひらく、かつてない冒険! バナナの葉と竹で寝屋をつくって野営し、平地民から姿を見られずに森のなかを遊動するムラブリ族の生活。タイ人は彼らを「黄色い葉の精霊」と呼んだ。 インドシナ半島の密林におけるサステナブルで、政府からも自由なアナーキーな生き方を見つめることで、文明社会で暮らす私たちにも、「真に重要なことは何か」が見えてくる。 あらすじ |
【クレジット】
金子遊 監督作品出演:伊藤雄馬 パー ロン カムノイ リー ルン ナンノイ ミー ブン ドーイプライワン村の人びと フアイヤク村の人びと撮影・編集:金子遊 現地コーディネーター・字幕翻訳:伊藤雄馬 パブリシスト:登山里紗 デザイン:三好遙 WEBデザイン:古谷里美 製作:幻視社
配給:オムロ 幻視社
協力:多摩美術大学芸術人類学研究所、京都大学東南アジア地域研究研究所
2019年/85分/ムラブリ語、タイ語、北タイ語、ラオス語、日本語/カラー/デジタル
©幻視社