犬童一心監督『名付けようのない踊り』上映後オンラインQAレポートこの度、『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』『のぼうの城』などで知られる犬童一心監督が、世界的なダンサーとして活躍する田中泯の踊りと生き様を追った映画『名付けようのない踊り』を完成させ、第26回釜山国際映画祭ワイドアングル:ドキュメンタリー・コンペ部門に正式出品し、10月8日(金)に上映されました。上映後、オンラインにて行われた田中泯と現地とのQ&Aレポート。 犬童一心監督『名付けようのない踊り』上映後オンラインQAレポート日時:10月8日(金) |
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今年の釜山国際映画祭は、コロナの影響により、観客の座席を1席から2席あけて実施。 その空席には映画祭で上映される作品のポスターが数多く貼られ、色とりどりの映画ポスターに囲まれた環境の中で ティーチインがスタートした。 Q:観客の皆様に一言ご挨拶をお願いします。田中泯:みなさん、こんにちは。本当は、そちらまで行きたかったので残念ですが、そちらの様子はしっかり映っています。 Q 『メゾン・ド・ヒミコ』で田中泯さんを知り、調べた所、泯さんがダンサーである事を知りました。ダンス以外の俳優業・声の仕事等で、どういったインスピレーションを得ていますか?田中泯:初めて映画に出たのは57歳の時。 おそらくメゾン・ド・ヒミコに出演したのは59歳の時だと思います。それまで、自分がドラマや映画などで演技をすることは考えていなかった。踊りが自分の人生の仕事なので、自分ではない人になるというのは、貴重な体験です。「身体ごと他者を知る」という事は、願ってもいなかった、とても大切な仕事。お芝居をする事が、すごく踊りに影響をしていると思います。 Q:泯さんがどういった踊りをされているのか気になり、この映画を観るに至りました。鑑賞して、すごく驚きました。想像していた踊りよりも“濃い芸術”といった印象でとても長くダンサーをされていたことが、この映画から伝わりました。どういったきっかけでこの映画がつくられたのですか?田中泯:ポルトガルの芸術祭から招待され、犬童監督に、ポルトガルに一緒に行きませんか?とお誘いしました。犬童監督が、せっかくだから記録したいという事で、撮影が始まりました。その時だけのつもりで撮影していたのですが、その後、短く編集したものを見せていただきながら、ひょっとしたら長編映画にできるのではないか、と監督からご提案いただき、色々な場所で撮影する流れになりました。当初から企画をした訳ではなかったのですが、犬童監督は、途中から映画化するという事を、強く意識し始めたのだと思います。このような形で出来上がって、私は光栄です。 Q:私は、田中さんの大ファンでもあり、『サバハ』を監督したチャン・ジェホンです!
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『名付けようのない踊り』2022年全国ロードショー 1978年にパリデビューを果たし、世界中のアーティストと数々のコラボレーションを実現、そのダンス歴は現在までに3000回を超える田中泯。映画『たそがれ清兵衛』(02)から始まった映像作品への出演も、ハリウッドからアジアまで広がっている。そんな独自の存在であり続ける田中泯のダンスを、『メゾン・ド・ヒミコ』(05)への出演オファーをきっかけに親交を重ねてきた犬童一心監督が、ポルトガル、パリ、東京、福島、広島、愛媛などを巡りながら撮影した。同じ踊りはなくジャンルにも属さない唯一無二の〈場踊り〉を、息がかかるほど間近に体感できる本作。いったい、田中泯はどんな道を辿ってここまで来たのか?犬童監督は、『頭山』で海外の名高い賞に輝いた山村浩二によるアニメーションを交えながら、情感豊かに田中泯の人物像を紐解いていく。 ●田中泯プロフィール ●監督・脚本:犬童一心プロフィール東京都出身。高校時代より自主映画の監督・製作を始める。大学卒業後は、CM演出家として数々の広告賞を受賞。1997年『二人が喋ってる。』で長編映画監督デビュー。『眉山 -びざん-』(07)、『ゼロの焦点』(09)、『のぼうの城』(12)で、日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞する。主な監督作は、『ジョゼと虎と魚たち』(03)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05)、『グーグーだって猫である』(08)、『猫は抱くもの』(18)、『引っ越し大名!』(19)、『最高の人生の見つけ方』(19)など。 |
田中泯
石原淋 / 中村達也 大友良英 ライコー・フェリックス / 松岡正剛
脚本・監督:犬童一心
プロデューサー:江川智 犬童みのり アニメーション:山村浩二
音楽:上野耕路
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
制作プロダクション:スカイドラム
製作:「名付けようのない踊り」製作委員会
©2021「名付けようのない踊り」製作委員会