映画情報どっとこむ TJ 9月3日(土)よりBunkamuraル・シネマほかにてロードショーとなる

映画『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)

アンナとアントワーヌ ビジュアル『男と女』から50年。
クロード・ルルーシュが愛に限界はない「愛がこの映画の唯一のテーマだ」として、齢78歳にして、大人の男と女の恋愛模様の決定版を完成させました。

そして、公開がせまる今、クロード・ルルーシュ監督と主演のジャン・デュジャルダンのインタビューが到着しましたのでご紹介!

驚いたことに名優エルザ・ジルベルスタインとジャン・デュジャルダンから監督に仕事を一緒にしたいという電話から、脚本を当て書きしたところからこの映画製作が始まったそうです!少し長いですが全文どうぞ。

ジャン&ルルーシュ監督※文中の役名
アントワーヌ役/ジャン・デュジャルダン
アンナ役/エルザ・ジルベルスタイン

映画情報どっとこむ TJ それでは、脚本・監督のクロード・ルルーシュのインタビューをどうぞ!

この映画がはじまったきっかけ

監督:この映画は、様々な状況がうまい具合に重なり合って始まった。私が別のプロジェクトをやっていた時、エルザ・ジルベルスタインとジャン・デュジャルダンから電話をもらったんだ。2人が、ただ私と仕事をしたいと思っていることを知らせたかったという、それだけのものだった。

そして、次にインドとの“啓示”のような出会いがあった。彼らとお互いに考えていることを話していくうちに、私好みのラブストーリーが浮かんできた。ジャンとエルザが私を突き動かしたんだよ。彼らは思いもよらないカップルになる可能性を秘めていた。お互いに違いすぎるからこそ、理想的なカップルになるはずだ、と。

アンナとアントワーヌ私は俳優が好きだし、彼らは映画にとって欠かせない存在であることも分かっている。というのも僕ら(脚本家)が書いたあらゆることを彼らが演じるものが映画だからね。私はかねがねジャン・デュジャルダンと一緒に仕事をしたいと思っていた。だが50年以上にわたって映画を作ってきて、数々のフランスの有能な俳優たちと仕事をしてきたが、彼と仕事をすることはかなわなかった。
ジャンとエルザのことを考えながら、私は大急ぎで脚本を書き上げた。2人は私の執筆作業を見守り、その工程を楽しんでいた。2人はそれぞれ極めてユニークなやり方で、今の映画の新しいトレンドを教えてくれた。こうして私は初めて“熱意ある要望”に応える形で映画を作り上げたんだ。

愛とインドと、コメディ

監督:愛は人間にとって、一番の関心事だ。ラブストーリーほど満足感を味わえるものはないと同時に不快なものもない。つまり愛というのは混沌としたものであるがゆえに、驚くべき展開となる可能性があるんだ。事実、愛はこの映画の唯一のテーマだ。愛に限界はない。誰かが誰かを深く愛していても、別の人間を好きになることもあるということを描きたかった。私にとって愛とは、あらがうことのできない麻薬のようなものだ。
私の作品や私の人生でも女性たちが重要な役割を担ってきたが、彼女たちのお陰で、今の私がある。これはいつも言っていることだが、もう一度言うと、成功した男というのは女たちが作っているんだ。

アンナとアントワーヌ_メイキング2私はコメディを作りたかった。そしてそれ以上にラブストーリーの陳腐なパターンを打破したかったんだ。インドはこの作品のキー・キャラクターのひとつだ。ずっと私は、インドに行くべきだと言われ続けてきた。私の哲学や世界に対する物の見方や前向きな態度、映画に盛り込んだものを見て彼らはそう言っていたのだろうが、やっと75歳にして、かの地を訪れた。思っていたとおりの国だった。世界中を何度か旅したことあるが、私にとってあそこが一番美しい国だった。何よりも貧富の格差があるのが気になったが、合理的なものと不合理なものが共存しているのがいい。素晴らしい出会いだった。もっと早い時期にインドのことを知っていたら、すべての作品をインドで撮影していたかもしれないと思ったくらいだ。
ジャンと仕事をしたことで、私は若い頃の自分に戻れた。二十代の自分を再体験できたんだ。まるでデビュー作を撮っている気分だった。ジャンはまるで子供で、私は何よりも子供好きだから、一緒に遊んいでたような感じだった。彼はプロジェクト全体と出演者たちに、リズムとウィットのセンスをもたらしてくれた。エルザ・ジルベルスタイン、クリストファー・ランバート、アリス・ポルらも結束を固め、彼を盛りたててくれた。彼らはリスクを顧みず、自分たちの限界まで演じてくれたんだ。

彼らの演じたストーリーに真実味がある限り、私は「カット」と言わなかった。そう、「カット」と言ったのは、嘘っぽく感じた時だけだ。セットでも滅多に「カット」と言わなかった。これ以上は無理があると思った時でも、彼らは迫真の演技を続けていたんだよ。
彼らは監督である私を観客の1人に変えてしまった。毎日、私は監督として現場に入り、指示を出していたが、その日の終わりには自分の映画の観客になってしまっていた。彼らはこの作品を見る将来の観客のように、私を笑わせ、泣かせ、心を動かした。才能のある俳優たちというのは素晴らしい。私は大好きだ。7週間ずっと、生のエンターテインメントを見させてもらい、ラブストーリーのドキュメンタリーを撮っているような気持ちで彼らを撮影したんだ。

音楽について

監督:この映画では、音楽も非常に重要な位置を占めている。映画音楽作曲家というジャンのキャラクターを通して、『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(ルビ:プレリュード)』では、幸運にも私が一緒に仕事をすることができた、すべての偉大な作曲家たちを称えている。この作品で喜びの再会を果たしたフランシス・レイはもとより、ミシェル・ルグランやクロード・ボリンもそうだ。私が彼らの音楽に魅了されたのは、知らず知らずのうちに体に染み込んでいたからだ。誰もどこで音楽が生まれたなんか知りようもない。音楽とは神自らの表現なんだよ。

思いがけないカップル

監督:ジャンとエルザと一緒に映画を作りたかったが、私には2人が一緒にいる絵を描くことができなかった。キャスティングをする時に、いつも想像力が広がらないんだ。我々は常日頃、楽な方法を取りがちだが、本当に突然ひらめいたんだ。このカップルはかなり変わり者で、普通じゃないことが、すごくいいアイデアのように思えたわけだ。恋人紹介所(デート相手の紹介会社)は、共通の趣味を元に相手を紹介するが、それが原因でトラブルになるのかもしれない。共通の趣味だと、お互いに同じことをするから、退屈してしまう。だが相補性というのはすごく強い。ジャンとエルザの出会いも似たところがある。2人はかなり違っているからね。何もかもが不合理で、いつものように道理が通らないインドのような国で、映画の中での2人の唯一の共通点は、フランス人だということだけだ。
2人の関係が、カップルらしさや陳腐な決まりごとのすべてを壊すことは分かっていた。今日、巷にはラブストーリーが溢れ返っている。あらゆることがメディアに取り上げられ、語り尽くされているから、今風な関係においては、根本的にものの見方を変えるなんじゃないかな。今のカップルは、表面的なものが全てになっている。最初の段階がすごく重要なことになっているね。感じが良く見えるとか、声をかけやすいとかね。だがカップルを継続させるものは、最初に見たものじゃない。何もかもが隠れている。見た目だけのことなんて、すぐに飽きてしまう。ひと晩以上は続かないことだってあるんだ。
私はジャンとエルザと会って、彼らを知らねばと思って語り合った。これは極めて重要なことだ。私の作品に選ぶ俳優たちというのは、自分の人生に関わりを持ってきた人たちだ。友人だったり、恋人だったりね。映画に対して、私は愛か憎しみが必要だと思っている。愛情がある時に撮った映画はとてもよく撮れている。自分が愛するものを観客にも愛してほしいからだ。

お互いを追い求める

監督:エルザとジャンと一緒に、我々は初めてディナーを共にした。食事中は本当にライブ・エンターテインメントだった。まるで自分の映画を見ているような気分だった。ディナーの席での2人の関係は、映画の中での彼らそのものだった。私の仕事は物事を観察することだ。好奇心を持ち、統合的に芸術作品を作り上げるのが監督の仕事だ。私は2人を観察した。持ち出す話の種を、2人がどのように話すかをじっくりと見ていた。そこで浮かんだのが、この光景を撮影したら…、どんなカップルにも経験のあるこの“イタチごっこ”を、観客は面白がるんじゃないかという思いだった。一方がもう1人からいつも逃げるんだが、それでいて相手のことをより愛している。我々がどちらかに加勢するまでその状態が続く。ジャンとエルザの見えない関係を撮っているのは楽しかった。そして、その2人が最終的には、どうにかくっつくことも想像できた。
アンナの役柄は、男のあらゆる悪い部分を持つこの見知らぬ男を魅了する。様々なことが彼女を悩ませかねないのだが、そのことがより魅力的に見えるんだ。相手はタフガイの生き残りのような男だ。そもそも彼は何よりも、自分のことと仕事のことしか考えていない。典型的な自己中心的な男だ。そんな彼がアンナに出会い、インドという土地柄が彼を変えていく。インドから帰ってきて変わらない人間はいないからね。あそこほど逆境を受け入れている場所はない。妬みというものがほとんどない土地だ。だから他の人間に目が行ってしまう。よくよく観察してみると、多くの魅力的な人々がいて、そして必要とされているのかが分かる。あの国は何が最も大事で尊いことなのかを教えてくれる。それはつまり度量の深さと正直さで、これが出会いを引き起こす背景なんだ。我々には運命なんて分からない。もし人生がチェスのように長く複雑なゲームだとするならば、我々は驚きに驚きを重ねながら成長するのかもしれない。男女の仲ほど興味深いものはない。この地上で最も美しい風景も単なるオマケにすぎない。素晴らしいラブストーリーは、どこででも起こり得る。内なる感情に目覚めるために、ガンジス川に入ったり、ヒマラヤ山脈に上る必要はないんだ。

アンマについて

監督:この映画で体験したあらゆる奇跡の中でも、アンマとの出会いは最高のものだ。周りの人たちを抱擁して、愛を振りまいている彼女の話を小耳にはさみ、素晴らしいアイデアだと思った。私は彼女が生まれた南インドのケーララに出向いた。彼女は毎日、数百人の人間を抱きしめているが、1人として同じ気持ちにはならない。それぞれが別々の人生を抱えてやって来るからね。私は数時間滞在して、彼女を見ながら、映画に収められないかと考えた。アンマには神々しさがある。私は人生で数千人と出会ってきたが、彼女は最も印象深い人の1人だ。側近を通じて映画にいただけないかと頼み、俳優たちと一緒にアンマが出演する許可を得た。彼女は俳優たちがいつ来るか知らなかった。ジャンとエルザは群衆に交じっていて、彼女は2人を他の人たちと同じように扱ったんだ。それまで彼女はどちらとも会ったことがなかったし、演技すらしなかった。私は彼女にもジャンにもエルザにも演技を求めなかった。まるでカメラ抜きで彼女に会いに来たというように、2人はアンマに会ったんだ。それはすごい光景だった。アンマと俳優たちからかなり離れた所にカメラを置き、長焦点の望遠レンズを使ってニュース映像のようなアップで撮影した。私はニュース記者としてキャリアをスタートさせたんだが、映画監督になってから、そのテクニックを使える機会を伺っていたんだよ。だから私は俳優だけをアンマのところに行かせた。何か起こるかもしれないと考えてね。
あの日、起きたことを見て、私はその後の脚本を書き直すことにした。順番に撮影していたから、そんなことが可能だった。アンマの出演したシークエンスは、その後に続くすべてのシーンを膨らませ、影響を与えた。私は観客に頭と心で大いなる旅を体験してほしかったんだ。人生は常に私の想像よりはるかに確かなものだ。そして俳優たちの演技は私の意図を超えており、脚本もはるかにいいものになった。

人生を謳歌することについて

監督:私が愛してやまないことが2つある。それは人生と映画だ。映画が私に人々が人生を謳歌できるようなものを作らせてくれる。この世の怖さを痛いほど分かっていても、私は世界を愛している。だから多くの人にも愛してほしいんだ。ネガティブなものがポジティブなものより、重要になってきている世の中に私たちは生きている。悪いニュースがいいニュースを凌駕している世の中だ。でも映画を1本作るたびに、どうしたら人々がこの世の中を、より好きになってくれるかを考えてきた。私は映画の持つ力が人の心を2時間で変えられると信じている。ちょうどアンマが30秒人を抱きしめることで、その人を変えられるようにね。中には文明社会を破壊しかねない映画もある。この世界を愛する私の思いが、映画を通して広がることを願っている。
私は人生を賭けて、俳優や脚本やカメラを開放するよう努めてきた。そしてこの映画には、50年間の私の思いを盛り込んだ。テクノロジーがそれを可能にしたんだ。この年になって世界チャンピオン戦のリングに返り咲くことができるとは思っていなかった。だが自分のデビュー作のように、存分に楽しんでこの映画を作ったことは確かだ。

映画情報どっとこむ TJ アントワーヌ役のジャン・デュジャルダンのインタビューです!

クロード・ルルーシュ監督とエルザ・ジルベルスタイン

ジャン:クロード・ルルーシュは、僕が監督というキャリアに期待するものをすべて兼ね備えている。彼は頭が柔らかく複合的な発想ができる人間で、俳優に裁量を与え、自由な演技や台詞の変更もいとわない。映画製作で私が好きなところは、クルーたちとそういう環境で2~3か月過ごせることだ。クロードもそんな環境が好きなんだよ。彼は映画製作を楽しんでいて、毎日のように自分の脚本に手を入れるんだ。
アンナとアントワーヌ_メイキング彼が「(カメラを)回せ」、「アクション」、「カット」と叫んだのを聞いたことがない。ロケ移動やアイデアについて、撮影などでも独善的ではなかった。そして、このアイデアというのは、映画で僕らが常に求めているものを見つけるために没頭することだ。つまり、なりふり構わなくなるということだ。今まで不可能だと思っていたことをやらなければならない。準備してきたもの、想定していたもの、押し殺していたものを放り投げてね。限界だなんて気づく暇はないんだ。だって、もう始まっているんだからね。

このプロジェクトは、いろいろなことが素早く結びついたんだ。3人が会った時、エルザと僕にはやりたい明確なアイデアがあった。僕らの頭にあったのはクロードの作品『あの愛をふたたび』(1970)の冒険版ラブストーリーで、地球の反対側で撮影するというものだった。するとクロードが、こんなアイデアを出してきた。「君はアントワーヌ・アベラールという作曲家で、エルザは外交官の妻だ」とね。これでポーン(チェスの駒)はセットされた。インドが舞台という最高のアイデアも出てきた。旅は恋愛を育てるという、まさにクロードの世界だ。そこが彼の映画の好きなところだ。独自で組み立てていき、皮肉を加えない。彼の映画はロマンチックでおかしくて、不合理で残酷だ。人生と似ている。クロード・ルルーシュと2人のキャラクターとインド…、もう映画は完成したようなものだ。何でも可能だったんだ。

接近するのを避ける

ジャン:インドについては何も知らなかったが、それが良かった。僕は何の先入観も持たずに、文化的なギャップを経験したかったんだけど、それは空港に降りた途端、始まったよ。僕は何の疑問も抱かずに映画とキャラクターに取り組みたかったんだ。僕の世間的イメージや人がどう思うかとか、自分はどうすべきで、どうすべきではないのかというようなことを考えるのを毎日、払拭しようとした。熟考は俳優にとって悪なんだ。クロードとの仕事は、僕にとっていいことずくめだったんだ。
僕は短いキャリアの中で素晴らしい経験をしてきたが、今回のようなやり方で演じたことがなかったので、感慨深いよ。あそこまで自分を解放したことがかなった。こんな映画は、後にも先にもないだろうね。

不可能なことに向かうことから離れて

ジャン:実は僕の役柄は、まったく固まっていなくて、よく練られてもいなかったが、僕らは女性にも男性にも楽しめる映画を作りたかった。異国の地でいろんな出来事に遭遇したり、また引き起こしたりして、それに対して誰もが示す反応を描きたかった。クロードは型にはまっていないものが好きで、突発的な出来事や予期せぬことを好む。エルザもそうだ。彼女は時として非常に真面目に考えたり、自分の役柄になり切ることができる。彼女を見ていると笑っちゃうんだよ。彼女は知性的で気さくで、教養があって、機転も効く。僕らは仕事をしている間は1日中、甘やかされた悪ガキのようにふるまうようにしていた。楽しみながら、リスクを冒そうって決めたんだ。その結果、毎日がワークショップか実験的な演劇みたいだった。
僕は役を作り込むことはしない。どんなプロジェクトでも多少の違いはあるけれど、あんな自由な感覚、馬鹿なことを言えるという特別な楽しさは、しばらくぶりだった。何かが降りてきたような感覚で、クロードが喜ぶものだから彼を笑わせることだけを考えていた。するとエルザから機転を利かせた反応が返ってくる。そんなやり取りが続くんだ。一番最初の大使館のシーン以来、すぐにクロードは僕らのこのやり方を継続すべきだと気づいてくれたんだ。古典的な初対面のシーンだが、予想外の出来事と余談で僕らは親しくなる。僕のキャラクターは無頓着な人間だから、思い切って好き勝手にやれた。その相手としてエルザは、最高のパートナーだった。驚くようなシーンが生まれた。30分のディナーを即興で演じた時、誰もがそれぞれの人生を自由に演じた。どれもがつじつまが合っていて、みんなが行儀よく演じたんだが楽しんでいた。あれは驚きだったよ。
この映画のお陰で、大勢の中の1人に戻れ、楽しんで演じることができた。クロードは僕の重荷を取り除いてくれたんだ。僕は『アーティスト』で、アカデミー賞を受賞して神経過敏になっていたからね。プレッシャーと期待が大きすぎて、演じて楽しむという僕が一番好きな映画の世界から距離を置いていたんだ。クロードとの仕事は、コメディグループの仲間とコントを書いたり、演じていた時のような感じだった。あの時より僕はのめり込んだ。どの映画よりも自分らしいと感じた。もう人が自分をどう思うかなんて考えなかった。役柄だけに集中して演じた。それだけしか考えないでいいなんて、すごく楽なんだよ。気ままにやれる喜びを再認識できた。この映画は僕が俳優としてすべきことに引き戻してくれたんだ。

インドの衝撃

ジャン:インドみたいな国は他にない。新たな発見があり、自分を反省し、ショックを受け、心を動かされ、美しいものや見たくないものを目にする国だ。よく何もない国だと言うが、本当に何もない国だ。そんなことがあり得るのかと思えることが山ほどある。だがインド人たちは働き、生き伸びているんだ。いわば永遠のカオス状態だ。旅行という概念が覆ってしまう。10日も過ごすと、だんだんそのことに慣れてくる。とりわけ素晴らしく有能なインド人スタッフと仕事をしてみるとね。僕らは人を見ることを学ぶ。それは植民者としてこの国に訪れたヨーロッパ人としてではなく、偏見のない人間としてだ。僕らが彼らの目を見ると、彼らは驚くが受け入れる。そしてそのことが楽しくなる。この国は様々な景色や色合いを見せてくれる。僕らは満足しているよ。敵意のようなものは感じないね。あらゆるものが月並みな枠を飛び越えているんだ。
キャラクターと同じように僕も仕事のために甘い生活を置いてインドを訪れたが、こんなに影響を受けるとは想像もしていなかった。

撮影中のエピソード

ジャン:僕らは順番通りにこの映画を撮影していたけど、あれは信じられないくらい贅沢なやり方だよ。映画というのは、順番に撮影されることなんてないからね。僕らは1日演じたことの上積みができた。より真実味のあるものを翌日、やることもできた。毎晩だって映画全体を再現することもできた。書き上がっている脚本がある上で、クロードとエルザと話し合いながら始め、再構成をしたり書き換えたりした。エルザとの絡みは、お互い何度も驚かされることがあった。たとえば僕らが列車で旅をしていた時、彼女は僕が物真似をすることが分かっていた。彼女は警戒していたけど、僕は詳しいことは言わないでおいたんだ。そんなことをすれば彼女はリアクションを用意しかねないからね。撮影は3人のゲームだったんだ。クロードは僕の隣に立ち、僕が彼女に言うべき台詞を耳打ちしたが、その前に彼女には別のことを言いたかった。あれはすごくまごついたよ。僕ら(の仲)は物語の中で同じように進行していたんだ。
また別のシーンで、列車が止まった時、僕は用意されていた脚本よりも、もっと話を進めようと考えた。キャラクターが一連の流れに陥ってしまうと、大惨事になるか、この時のようみたいにハマるかのどっちかだ。彼らは問題があるにも関わらず付き合っていて、お互いを必要としている。アントワーヌは度が過ぎることがあり、なぜ自分がそうなってしまっているかを思い出せない。彼は人生で冒険しすぎなんだ。すでにアンナは恋をしているが、相手のアントワーヌにとってはラブストーリーとは呼べず、“ずれた” ラブストーリーだ。彼には彼女と一緒にいる理由はない。まだ彼女を魅力的だとは思っていないんだ。一緒にいるのは彼女が外交的であり、自分を楽しませてくれる人間であり、生きる喜びを感じられるからだ。だからといってラブストーリーじゃない。そこから映画が面白くなるんだ。

展望

ジャン:絶えず自分が何をしているかを見ている部分が僕にはある。だから監督にはなりたいと思わない。というのも、セットで監督や共演者たちとの共同作業が大好きだからだ。ゲームをしているんだよ。役の台詞がキャラクターにとって嘘っぽいとか、キャラクターを考えて、あの台詞は彼にとって意味のあるものだとか、そういうことが常に頭にあるんだ。
いつもクロードは「自分が演じているのを忘れる瞬間を見つけろ」と言うけど、そうしたいね。その瞬間を追いかけ続けて、捕まえたいと思っている。でも、そんなことが起こるのは極めてまれだ。我々俳優は、“ありのまま”を追い求め続けているんだ。共演者と真面目に、うまく演じられることはいいに決まっている。僕は1人の俳優として、演じることを楽しんで、うまくなろうとして前進している。別に自分を卑下しているんじゃない。己を知っているだけだよ。自分自身を驚かせたいんだ。まだ遅くはないと思うし、可能性はあるはずだ。今の世の中、僕らは自分を抑えすぎなんだよ。時代がそうなんだね。だからこの映画を作れて幸せなんだ。僕にとっていい経験だったし、これから出る映画にとってもね。この映画で思い切って、新しいことをやろうとしたんだ。それは自己の開放だった。クロードは俳優たちを自由にさせると言われるけど、それは本当だよ。夜、自分の部屋に戻ると、自分の演じたことと彼がやらせてくれたことに気がつく。クロードのように、俳優たちにそんなことを感じさせる監督は珍しいよ。どの時代の監督も俳優たちや映画を力で支配してきた。まず最初に彼らは、映画を作る時、自分のストーリーを語る。ストーリーが語られる前にね。でもストーリーというのは、感情なんだ。その感情を表現するのが俳優だ。だから俳優は落ち着いて、自由に演じる必要があるんだ。だが残念ながら、そんな状況がいつもあるわけではない。そういう意味ではクロードは稀有な監督だ。彼は熱血漢で、その子供っぽい笑顔で場を明るくさせる。彼の作るどの映画の中にも、すごいシーンがある。いつもそれがあるのが、素晴らしいんだ。そういうシーンがいくつあるかという問題じゃなく、それが楽しみなことは確かだ。

『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(ルビ:プレリュード)』について
この映画は今の時代には非常に珍しいものを観客に見せるはずだ。それは今の映画業界では二度とできないものだ。映画館で上映するための映画であって、テレビ用じゃない。テレビという枠のために、企画して、脚本を書き、予算を取ったものじゃない。この映画は映画館向けに、映画らしい感動を大きなスクリーンで観せるために作られたものだ。それも本物のインドが舞台で、決して絵ハガキ的な観光映画じゃない。本当のインドを舞台に感動的なストーリーがじっくり観られる。映画館で観る映画だ。こんな作品は滅多にないよ。

映画情報どっとこむ TJ まさにフランス映画

アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)
原題UN+UNE

9月3日(土)よりBunkamuraル・シネマほかにてロードショーです。

公式HP:
http://anna-movie.jp/

物語・・・・
ニューデリー~ムンバイ~ケーララへの2日間の旅。異国情緒たっぷりのインドを舞台に、互いにパートナーのいる男と女は魅かれあう。美しい風景の中でつきない会話。恋の予感はやがて…
映画音楽家のアントワーヌ(ジャン・デュジャルダン)は、自分が作曲してきた映画の主人公のように、飄々とユーモアにあふれた人生を謳歌していた。そんな折、ボリウッド版『ロミオとジュリエット』作品の製作のためにインドを訪れた彼は、フランス大使の妻アンナ(エルザ・ジルベルスタイン)と出会う。愛する夫との間に子供を授かりたいと願う彼女は伝説の聖母アンマに会うためにインド南部の村まで旅に出ると言う。多忙なアントワーヌもしばしの休養を求めて、アンナを追って2日間の旅に出かけることを決めた―。

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監督・原案・脚本:クロード・ルルーシュ(『男と女』『愛と哀しみのボレロ』)  
脚本協力:ヴァレリー・ペラン
音楽:フランシス・レイ (『男と女』『愛と哀しみのボレロ』)
出演:ジャン・デュジャルダン、エルザ・ジルベルスタイン、クリストファー・ランバート、アリス・ポル
2015年/フランス/シネスコ/5.1ch デジタル/114分
字幕翻訳:松浦美奈  
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本 
配給:ファントム・フィルム
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma

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